画家

画家 · 21日 5月 2020
ジョルジュ・ブラック(1882年5月13日-1963年8月31日)はフランスの画家、彫刻家、版画家。 1906年にフォーヴィスムに参加し前衛芸術運動に参加。その後、パブロ・ピカソとともにキュビスムの発展に貢献。 ポール・セザンヌの多視点のアイデアを基盤にしながらキュビスムを発展。ピカソが移動に要する時間の差から生じる複数の視点に関心があったのに対し、ブラックは静止したオブジェを複数の視点から見つめることに関心があった。

画家 · 20日 5月 2020
ハンス・ベルメール(1902年3月13日-1975年2月23日)はドイツの画家、版画家、オブジェ作家、写真家。1930年なかばに制作した等身大の少女人形作品が一般的には知られている。 それまでは絵描きだったが、ナチスへの反発をきっかけに1933年から人形制作を始める。グロテスクでエロティシズムな球体関節人形を制作し、それらを演劇仕立てにして野外撮影した自費出版の写真集としてが、パリのシュルレアリスム・グループから注目を集めるようになる。 ベルリンからパリへ亡命後、シュルレアリスム運動に参加したあと、積極的に自身に眠るエロティシズムを探求するようになる。

画家 · 20日 5月 2020
ポール・デルヴォー(1897年9月23日-1994年7月20日)はベルギーの画家。シュルレアリスティックな女性ヌード画でよく知られている。 ジョルジュ・デ・キリコの形而上絵画やルネ・マグリットのデペイズマンなどの絵画表現に影響を受け、シュルレアリスム運動に参加。パリやアムステルダムで開かれた『国際シュルレアリスム展』に参加する頃から、一般的にシュルレアリスムの作家として知られていくようになる。 ただしデルヴォーは、当時政治色の強かったシュルレアリスムグループと、同じ政治運動を推進する熱烈な同士として積極的な関わりをもつことはなかった。デルヴォーは極めて私的に表現を楽しんだ。 デルヴォーの絵の中に描かれるいつも同じ顔女性は、母親によって強引に引き離されたタムである。デルヴォーは母親の呪縛に苦しみながら、タムの亡霊をひたすら描き続けていた。 そして絵画表現を通じた「タムの王国」の創造が目的だったのである。

画家 · 19日 5月 2020
ラーザリ・マールコヴィチ・リシツキー(1890年11月23日-1941年12月30日)こと、通称エル・リシツキーは、ロシアの画家、デザイナー、写真家、タイポグラファー、建築家、論争家。 ロシア・アヴァンギャルドの最重要人物で、メンターであるカシミール・マレーヴィチとともにシュプレマティズムやロシア構成主義の発展に貢献。特にタイポグラフィやデザイン上の実験において、20世紀のグラフィックデザイン史にも多大な影響を及ぼした。 リシツキー芸術信念は「ゴール・オリエント・クリエイション」という言葉に要約されている。それは芸術家とは変化を起こす代理人であるという。 リトアニア系ユダヤ人だったリシツキーは、反ユダヤ法が廃止されて大規模な変化が起こりつつあった帝政ロシア時代において、当時ユダヤ人文化振興のために生産されたイディッシュ語の児童文学のイラストレーターが芸術キャリアの始まりである。またリシツキーの人生の大半は教職仕事か本の装丁である。

画家 · 17日 5月 2020
米倉寿仁(1905-1994)は日本の画家。山梨県甲府市生まれ。名古屋高等商業学校卒業。大正15年、名古屋高等商業学校を卒業後、郷里に帰り教職につくかたわら、絵を独学で学ぶ。 1931年、「ジャン・コクトオの『夜曲』による」が、第18回二科展初入選。1935年より独立展に出品。福沢一郎と知己になる。1936年個展(銀座、紀伊国屋画廊)、1937年阿部芳文と二人展を二回開催(銀座、日本サロン)、またグループ「飾画」に参加。詩集『透明ナ歳月』を刊行(西東書林)。1938年創紀美術協会結成に参加。1939年美術文化協会結成に参加。戦後は1951年美術文化協会を脱退し、翌年サロン・ド・ジュワンを結成して活動。 サルバドール・ダリの影響が濃く見られる。代表的な作品は1936年に発表した《ヨーロッパの危機》。発表時の題名は「世界の危機」。ダリのおなじみのモチーフである卵からコンパスや機械など合理性を彷彿させるモチーフが飛び出している。背景はダリのカダケスの風景とよく似ている。

画家 · 14日 5月 2020
葛飾北斎(1760年10月31日-1849年5月10日)は日本の画家、浮世絵画家、江戸時代の版画家。雪舟をはじめ中国絵画の影響を受けたスタイルで、シュルレアリスティックに日本の風景や春画を描く。 最も代表的な作品は『富嶽三十六景』シリーズ(1831年)で、中でも1820年代に制作された『神奈川沖浪裏』は世界中で知られている版画作品である。 北斎は『三十六景』について、当時の江戸時代の国内旅行ブームを風景画として記録化する意図と、富士山に対する個人的な執着や強迫観念の両方が制作動機となっているという。このシリーズの中でも、特に『凱風快晴』は国内外の両方で北斎の知名度を高めた作品とされている。

画家 · 12日 5月 2020
ラウル・ハウスマン(1886年7月12日-1971年2月1日)はオーストリアの美術家、著述家、詩人、理論家、政治論客、ジャーナリスト、歴史家、編集者、舞踏家、パフォーマー。ベルリン・ダダの重要人物の1人。アナーキストで「ダダゾーフ(ダダ哲学者)」と呼ばれた。 生活の中にプロパガンダを取り入れ、女流ダダイストのハンナ・ヘッヒとともにモンタージュを発明。無意識を表現するシュルレアリストのコラージュと異なり、ハウスマンのフォトコラージュは、政治や社会に対する辛辣なアイロニーを込めているのが特徴だった。ハウスマンの最も有名な作品は『機械的な頭部』(1920年)と『美術批評家』(1920年)。 1920年末には『ダダイスムの歴史』など、これまでのダダの動きを総括するかのような2冊の著書を出版し、歴史家として活躍。

画家 · 10日 5月 2020
カミラ・D・エリコはイタリア系カナダ人のマンガ家、イラストレーター、画家、美術家。ポップシュルレアリスト。現在、カナダのバンクーバーを基盤に活動をしている。 D・エリコは、「不安」という概念に関心を抱き、「不安」とを形状化し、また色や質感を与えて具現化している。マンガに最も影響を受けた造形で、タコやイカなど海中生物を中心とした少し不気味な生物がまとわりついた少女のポートレイトが特徴。 アート活動基盤の中心は美術業界、およびマンガ業界。おおよそマンガ、イラストレーション、画業の3つで生計を立てているという。ただ、非常に多作なアーティストとしてよく知られており、最近では長編映画やビデオゲームなどのエンタテイメント企業とも仕事をしたり、ライセンス事業を通じて雑貨や家具関係の仕事もしている。その彼女の膨大な仕事履歴はレジュメを参照。 仲のよい同世代のポップシュルレアリストとして、オードリー・川崎やエイミー・ソルがいる。D・エリコを含めてこの3人がヤング・ポップシュルレアリスト(1980年前後生まれ)の代表的なアーティストとみなされている。

画家 · 10日 5月 2020
マリオン・ペック(1963年10月3日生まれ)はアメリカの画家、ポップシュルレアリスト。 フィリピンのマニラ生まれ。家族構成は4人姉弟の一番下で、父や母は世界中を旅してまわっており、ペックは幼少期をおもにワシントン州のシアトルで育った。 1985年、18歳でロードアイランド・スクール・オブ・デザインのBFAを取得。その後、ニューヨークのシラキュース大学とローマのテンプル大学で2つの異なるMFAを取得。2009年10月24日から、長年のパートナーである夫であるマーク・ライデンと結婚、ロサンゼルスで暮らしている。

画家 · 10日 5月 2020
カジミール・セヴェリノヴィッチ・マレーヴィチ(1878年2月23日-1935年5月15日)はロシアの画家、美術理論家。ロシア・アヴァンギャルドの1つ「シュプレマティズム(絶対主義、至高主義)」の代表的な芸術家として知られ、その先駆的な作品と著作は、20世紀の抽象芸術の発展に大きな影響を与えた。 キエフのポーランド人家庭に生まれ、「純粋な感情の志向性」や「精神性」に到達するために、自然の形(客観性)や主題からできるかぎり離れた表現をしようとしたのが、彼が創始したシュプレマティズムのコンセプトである。

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