近現代美術

近現代美術 · 27日 5月 2020
アンリ・ルソー(1844年5月21日-1910年9月2日)はフランスの後期印象派画家。税関職員。独学の日曜画家であり、プリミティブ・アート、ナイーブ・アート(素朴派)の祖として位置づけられている。普段は「ル・ドゥアニエ」(税関職員)として知られる。ルソーの作品は、パブロ・ピカソやカンディンスキーなどの前衛芸術家に影響を与えた。 絵画における「素朴派」とは、プロのうまい絵に対するアマチュアや素人のへたな、稚拙な絵であるが、同時にそのへたさ加減や、稚拙さが魅力になっているような絵である。日本では「ヘタウマ」ともいわれることがある(ただし、ルソーはうまい)。 素朴絵画が近代に始まるのは、市民が初めて余暇に恵まれ、趣味で描く画家、いわゆる日曜画家が急増したことと無関係ではない。その近代の素朴絵画の元祖かつ第一人者がアンリ・ルソーである。

近現代美術 · 15日 5月 2020
前衛(アヴァンギャルド)とは、おもに芸術、文化、政治の分野における実験的、革新的な作品や人々のことを指す言葉である。 芸術や文化における前衛表現の特徴は、現在の規範や常識と思われている事象の限界点や境界線的な部分を前面に押し出す、または越境する傾向が見られる。現在も多くの芸術家は、前衛運動に参加しており、いまだ前衛は有効な言葉である。 前衛はもともと軍事用語で12世紀より本隊に先駆けて敵と対峙する前衛部隊のことを指していたが、19世紀より政治において、また20世紀初頭より文化や芸術に転用され、「大胆不敵さによって、先駆者の役割を果たす(と自負する)運動や集団」という意味を持つようになった。 転用されたのは1825年。サン=シモン派の社会主義者オランド・ロドリゲスが自身のエッセイで仲間に対して「アヴァンギャルド」と呼んだのが起源である。ロドリゲスは、社会的、政治的、経済改革のために「芸術の力は最も直截的、かつ最速の方法である」と主張し、芸術家を召集した。

近現代美術 · 11日 5月 2020
シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ(1887年10月6日-1965年8月27日)、通称ル・コルビュジェは、スイス出身のフランスの建築家、デザイナー、画家、都市計画者、著述家。パリを拠点に活躍。フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエとともに近代建築三大巨匠の1人とされている。...

近現代美術 · 29日 4月 2020
トリスタン・ツァラ(1896年4月16日-1963年12月25日)は、ルーマニア人、またフランス人の前衛詩人、エッセイスト、パフォーマンス・アーティスト。ほかにジャーナリスト、劇作家、小説家、美術批評家、作曲家、映画監督などの活動もしている。数多くのキャリアにおいて代表的なのはダダイスト。ツァラはスイスのチューリヒで"反芸術"を掲げたダダ・ムーブメントの創設者であり、また中心人物の1人である。 エイドリアン・マニウの影響下、思春期のツァラは象徴主義に興味を持つようになり、アイアン・ビニアや画家のマルセル・ジャンコらとともに象徴主義の美術雑誌『Simbolul』を発行する。第一次世界大戦時にスイスのチューリヒへ移動し、そこでツァラはキャバレー・ヴォルテールやZunfthaus Zur Waagでさまざまなショーを行う。詩を読んだり、アート・マニフェストを掲げた。このマニフェストでは初期ダダイスム的な側面が見られた。 1916年に雑誌『キャバレー・ヴォルテール』を発行し、ダダ活動を開始。この雑誌で初めてダダという言葉が使用されたが、この時は正式にダダのマニフェストは出していな

近現代美術 · 28日 4月 2020
「大ガラス」以降にデュシャンは芸術制作をもっぱら放棄してからは、チェスに関心を向けて、没頭し始めた。デュシャンが2人の兄からチェスの手ほどきを受けたのは、絵画と同時期、すなわち彼が13歳の頃である。 1918年から1919年のブエノスアイレス滞在中に、知人もなく言葉もしゃべれないデュシャンは、毎日のようにチェスクラブに通っていた。チェスへの取り組みが本格化してくるのはこの頃からである。 「私はすっかりチェスに没頭しきっています。明けても暮れてもゲームばかりです。この世界には、正しい駒の動きを見つけること以上に、私の関心を惹くことはありません。」

近現代美術 · 10日 3月 2020
20世紀初頭におけるアメリカにおける「アートは」常に大衆のものであり、決してアカデミズムや富裕層の財ではなかった。 世界恐慌時の「連邦美術計画(FAP)」(1935-43年)は、1930年代の不況期におけるニューディール政策の一環として打ち出されたアメリカの視覚芸術に対する支援プロジェクトである。 連邦美術計画のナショナルディレクターだったホルガー・ケイヒルのもと、公共事業促進局(WPA)の5つの連邦計画第一の1つとして進められた最も大きなニューディール芸術計画である。 文化的活動び奨励策ではなく、仕事を失った芸術家や職人たちを雇い、壁画、イーゼル絵画、彫刻、グラフィックアート、ポスター、写真、演劇の背景デザイン、芸術品や工芸品を生産する救済策として制定された。

近現代美術 · 26日 1月 2020
近代美術(モダンアート)は、実験精神を重視し、過去の伝統的な美術様式から脱しようとした思想や様式を抱いた芸術作品。期間としてはおおよそ1860年代から1970年代までに制作された作品で、それ以降は現代美術と区別される。写実的な初期印象派から脱しようとした後期印象派や新印象派、またリアリズムから脱しようとした象徴主義が近代美術の源流とされている。 近代美術家たち(モダニスト)は、これまでの美術とは異なる新しい視点、新しい自然素材を用いた斬新なアイデア、新しい芸術機能のあり方を模索した。より具体的には、古代神話や聖書などを基盤とした物語的芸術から抽象的芸術への移行である。 近代美術の運動と観念は、初期から国際性があり、意図的で、方向性と計画性をもっていた。また、過激な宣言文、文書、筋書付きの宣言等を伴っていた。運動はそれぞれに特徴を出すべく、慎重に草案された。芸術家、あるいはしばしば評論家が、運動を船出させる舞台をしつらえ、観念を公式化した。つまり近代美術とは本質的には観念的であった。

近現代美術 · 20日 1月 2020
澁澤龍彦(1928年5月8日-1987年8月5日)は日本の小説家、フランス文学の翻訳家、美術批評家。 活動初期はマルキ・ド・サドをはじめ、多数のフランス文学を翻訳し、日本に紹介したことで知られる。特に「サド裁判事件」を通じて、澁澤の名前は一般に広がった。...

近現代美術 · 23日 9月 2019
フランシス・ベーコン(1909年10月28日-1992年4月28日)は、アイルランド生まれのイギリス人画家。激しく大胆な筆致と過激で生々しい表現で、鑑賞者に不安感や孤独感を与えることで知られる。 やや抽象的に描かれた人物画の多くは雑然とした平面的な背景で構成される。作品は金縁の額とガラスで額装され鑑賞者との間に「隔たり」を生じさせている。 20代初頭から絵を描き始めているが、30代なかばまで散発的な活動で、芸術的なキャリアはほぼなかった。絵描きとしての能力に自身が持てなかった若い頃のべーコンは、グルメ趣味、ホモセクシャル、ギャンブル、インテリアデザイン、家具デザイン、カーペットデザイン、浴室タイルデザインなど、さまざまな自身の中にある世界をさまよっていた。 のちにベーコンは、自身が一貫して関心を持てる主題を探すのに相当な時間がかかったことが、芸術家としてのキャリア生成が遅れた原因であると話している。

近現代美術 · 24日 2月 2019
《ギターのレッスン》は、1934年にバルテュスによって制作された油彩作品。161cm×138.5cm。個人蔵。 本作品は、女教師が少女の髪をひっぱり折檻しているシーンを描いている。少女のスカートがまくりあげられ、下半身が露出し、少女は抵抗するかのように女教師のドレスを引っ張り、女教師の胸をはだけさせている。手前には小さなギターが投げ出されるように置かれている。 バルテュスの解説によると、この女教師は少女の身体をギターの代わりに弾いているという。ボードレールの『悪の華』の中の「レスボス」の一節を引用して説明している。「なぜならレスボスが、地上の万人の中から私を選んだのだ、/島に花と咲く処女たちの秘密を歌うようにと」。 手鏡を見ている少女のモデルは、第二次世界大戦中バルテュスが一時期住んでいたスイスのフリブール郊外にいたオディル・ビュニョンである。少女は右胸を半分のぞかせ、左膝を立てて、右脚を伸ばし股を開き、手鏡を見ている。少女の左側から光が入り、光がさしこむテーブルに置かれた洗面器は、西洋美術においては伝統的に「純潔」を象徴するといわれる。

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