近現代美術

近現代美術 · 10日 3月 2020
20世紀初頭におけるアメリカにおける「アートは」常に大衆のものであり、決してアカデミズムや富裕層の財ではなかった。 世界恐慌時の「連邦美術計画(FAP)」(1935-43年)は、1930年代の不況期におけるニューディール政策の一環として打ち出されたアメリカの視覚芸術に対する支援プロジェクトである。 連邦美術計画のナショナルディレクターだったホルガー・ケイヒルのもと、公共事業促進局(WPA)の5つの連邦計画第一の1つとして進められた最も大きなニューディール芸術計画である。 文化的活動び奨励策ではなく、仕事を失った芸術家や職人たちを雇い、壁画、イーゼル絵画、彫刻、グラフィックアート、ポスター、写真、演劇の背景デザイン、芸術品や工芸品を生産する救済策として制定された。

近現代美術 · 26日 1月 2020
近代美術(モダンアート)は、実験精神を重視し、過去の伝統的な美術様式から脱しようとした思想や様式を抱いた芸術作品。期間としてはおおよそ1860年代から1970年代までに制作された作品で、それ以降は現代美術と区別される。写実的な初期印象派から脱しようとした後期印象派や新印象派、またリアリズムから脱しようとした象徴主義が近代美術の源流とされている。 近代美術家たち(モダニスト)は、これまでの美術とは異なる新しい視点、新しい自然素材を用いた斬新なアイデア、新しい芸術機能のあり方を模索した。より具体的には、古代神話や聖書などを基盤とした物語的芸術から抽象的芸術への移行である。 近代美術の運動と観念は、初期から国際性があり、意図的で、方向性と計画性をもっていた。また、過激な宣言文、文書、筋書付きの宣言等を伴っていた。運動はそれぞれに特徴を出すべく、慎重に草案された。芸術家、あるいはしばしば評論家が、運動を船出させる舞台をしつらえ、観念を公式化した。つまり近代美術とは本質的には観念的であった。

近現代美術 · 20日 1月 2020
澁澤龍彦(1928年5月8日-1987年8月5日)は日本の小説家、フランス文学の翻訳家、美術批評家。 活動初期はマルキ・ド・サドをはじめ、多数のフランス文学を翻訳し、日本に紹介したことで知られる。特に「サド裁判事件」を通じて、澁澤の名前は一般に広がった。...

近現代美術 · 23日 9月 2019
フランシス・ベーコン(1909年10月28日-1992年4月28日)は、アイルランド生まれのイギリス人画家。激しく大胆な筆致と過激で生々しい表現で、鑑賞者に不安感や孤独感を与えることで知られる。 やや抽象的に描かれた人物画の多くは雑然とした平面的な背景で構成される。作品は金縁の額とガラスで額装され鑑賞者との間に「隔たり」を生じさせている。 20代初頭から絵を描き始めているが、30代なかばまで散発的な活動で、芸術的なキャリアはほぼなかった。絵描きとしての能力に自身が持てなかった若い頃のべーコンは、グルメ趣味、ホモセクシャル、ギャンブル、インテリアデザイン、家具デザイン、カーペットデザイン、浴室タイルデザインなど、さまざまな自身の中にある世界をさまよっていた。 のちにベーコンは、自身が一貫して関心を持てる主題を探すのに相当な時間がかかったことが、芸術家としてのキャリア生成が遅れた原因であると話している。

近現代美術 · 24日 2月 2019
《ギターのレッスン》は、1934年にバルテュスによって制作された油彩作品。161cm×138.5cm。個人蔵。 本作品は、女教師が少女の髪をひっぱり折檻しているシーンを描いている。少女のスカートがまくりあげられ、下半身が露出し、少女は抵抗するかのように女教師のドレスを引っ張り、女教師の胸をはだけさせている。手前には小さなギターが投げ出されるように置かれている。 バルテュスの解説によると、この女教師は少女の身体をギターの代わりに弾いているという。ボードレールの『悪の華』の中の「レスボス」の一節を引用して説明している。「なぜならレスボスが、地上の万人の中から私を選んだのだ、/島に花と咲く処女たちの秘密を歌うようにと」。 手鏡を見ている少女のモデルは、第二次世界大戦中バルテュスが一時期住んでいたスイスのフリブール郊外にいたオディル・ビュニョンである。少女は右胸を半分のぞかせ、左膝を立てて、右脚を伸ばし股を開き、手鏡を見ている。少女の左側から光が入り、光がさしこむテーブルに置かれた洗面器は、西洋美術においては伝統的に「純潔」を象徴するといわれる。

近現代美術 · 24日 2月 2019
《美しい日々》は、1944年から1946年にかけてバルテュスによって制作された油彩作品。148cm ×199cm。ワシントン、ハーシュホーン博物館と彫刻の庭が所蔵している。 手鏡を見ている少女のモデルは、第二次世界大戦中バルテュスが一時期住んでいたスイスのフリブール郊外にいたオディル・ビュニョンである。少女は右胸を半分のぞかせ、左膝を立てて、右脚を伸ばし股を開き、手鏡を見ている。少女の左側から光が入り、光がさしこむテーブルに置かれた洗面器は、西洋美術においては伝統的に「純潔」を象徴するといわれる。

近現代美術 · 24日 2月 2019
《鏡の中のアリス》は、1933年にバルテュスによって制作された油彩作品。162.3 cm×112 cm。ポンピドゥー・センター所蔵。 モデルは兄の学友で翻訳家のピエール・レリスの妻ベディである。本作品は、1934年にパリのピエール画廊で開催されたバルテュスの初個展で展示された作品の1つ。

近現代美術 · 24日 2月 2019
《朱色の机と日本の女》は、1967年から1976年にかけてバルテュスによって制作された油彩作品。145cm×192cm。ブレント・R・ハリスコレクション所蔵。 モデルは節子夫人で、日本風の室内の中で、鉢巻を締めた節子夫人が、姿見の前に膝をついてのぞき込んでいる。着物は右肩を残してはだけ、帯でかろうじてとまっている。 身体は引き伸ばされて様式化され、角張った左肩が幾何学的な印象さえ与える。このバルテュス独特の角張った表現は、初期の『嵐が丘』の挿絵のキャシーまでさかのぼるバルテュス独特の「型」の1つで、その後《トランプ》シリーズなどで何度も描かれてきた。

近現代美術 · 14日 1月 2019
グスタフ・クリムト(1862年7月14日-1918年2月6日)はオーストリアを代表する画家、ウィーン分離派の創設者であり、代表的なメンバー。装飾芸術、絵画、壁画、ドローイング、オブジェなどさまざまなメディアで制作。中心となるモチーフは女性の身体で、率直なエロティシズム表現が特徴である。 滅亡前のオーストリア=ハンガリー二重帝国の首都ウィーンの頽廃的な雰囲気を、豊麗な女のイメージによって、もっとも見事に形象化したといわれる。ハプスブルグ家の支配するオーストリア・ハンガリー帝国の首都として独特な爛熟した文化を生み出してきた世紀末のウィーンは、支配的な社会階層が贅沢な饗宴にうつつをぬかし、病的に快楽を追求した時代だった。現在の日本を彷彿させるところがある。

近現代美術 · 15日 3月 2018
《オペラ座のオーケストラ》は、1870年にエドガー・ドガによって制作された油彩作品。450 ×560 cm。オルセー美術館所蔵。 ドガは意図的に、通常は描かれるはずの劇場の舞台を不明瞭にし、代わりに舞台下の観客座席、なかでも音楽演奏席に焦点を置いて描いた。音楽演奏席と舞台のコントラストは、3つのエリアの描き方の違いで補強されている。 描かれた劇場は3つのエリアに分かれている。画面の一番下は観客席、中央が音楽演奏席、画面の一番上がバレリーナが踊る舞台である。この絵画ではバレリーナの脚がフットライトで照らされているが、上半身がカットされている。

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