【美術解説】ロココ美術とフランスの王妃たち

ロココ美術とフランスの王妃たち

革命勃発前の優雅な文化


フランス革命勃発前の1710~60ごろにかけて、フランスでは、甘く優雅な雰囲気を持った美術「ロココ美術」が流行しました。

 

この美術は、それ以前のルイ14世時代の荘重で儀式ばった芸術文化の反動として生まれました。


巨大な宮殿に代わって、貴族や裕福な市民の館が舞台となり、絶対的な権力を持った国王に代わって、その寵愛を受けた女性たちが文芸に大きな力をふるいました

 

親しみやすく、気ままで感覚的なものを重んじているのが、ロココ美術の特徴です。ロココという言葉が、変わった形や岩や貝殻をかたどった装飾をさす「ロカイユ」からきているように、この時代は、華麗な工芸装飾が花開きました。

 

ロココ美術を代表する女性といえば、ポンパドゥール夫人です。フランス国王ルイ15世の公式の愛妾となったポンパドゥール夫人は、湯水のようにお金を使って、あちこちに邸宅を建てさせました。また、芸術の熱心な愛好家、パトロンでもあり、さまざまなロココ様式の芸術家とも交流しました。モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールが描いたポンパドゥール夫人の肖像画が盛期ロココ時代の肖像画として有名です。


この時代は、貴婦人を神話の女神に見立てて描く肖像画が流行しましたが、これはギリシア神話という西洋文明の恒常的要素への暗示によって、古典との結びつきを図ろうとしたものでもあるのが特徴です。

 

ポンパドゥール夫人は「我らのあとに洪水はきたれ」という言葉を残しています。要するに、洪水とは、神があたえる天罰。それによって人間は滅ぼされる、という意味です。洪水という言葉を使っているのは、自分たち貴族が平民たちを犠牲にして、贅沢三昧な生活をおくっていることに対して、神の罰がくだるだろうと自覚しているわけです

 

。堕落した生活だとわかっている。だけれども、楽しいからやめられない。いずれ、天罰がくだるだろうけれど、「神様、罰をあたえるのは私が死んだあとにしてね」という気持ちが、「我らのあとに洪水はきたれ」という言葉に表現されているわけです。


そして、もう一人、ロココ美術を代表するひとがいます。オーストリアの女帝マリア・テレジアの娘として、ポンパドゥール夫人によって爛熟したロココ時代のフランス宮廷に輿入れしたマリー・アントワネットです。贅沢好き、繊細、優雅、とまさにロココ美術の理想を完璧に体現したよう人で「ロココ王妃」といわれました。

 

マリー・アントワネットは、ヴェルサイユ宮殿の片隅に、小さな独自の王国を築き上げました。これが名高い「愛の神殿」の別荘で、ロココ芸術の精髄たらしめています。

元々は、ポンパドゥール夫人の命を受けて建築された別荘でしたが、完成したときには既に亡くなっていたので、マリー・アントワネットに譲り渡されました。

 

ここで仮面舞踏会を催したり、芝居を演じさせたり、池や小川や洞窟や、農家や羊小屋さえある牧歌的なその庭で、若い騎士たちとかくれんぼをしたり、ボール投げをしたり、ブランコ遊びをしたりして、ひたすら気ままに遊び暮らしました。


ロココ王妃が別荘で贅沢な暮らしをしているあいだ、彼女の知らない外部の世界では、次第にフランス革命の動きが起こりつつありました。緊迫した時代の影が忍び寄ってきているにも気づかず、彼女はまだ仮面舞踏会をやめようとしません。食糧物価は高騰し、フランス民衆が飢えていてパンも買えません。にも関わらず、このロココ王妃は相変わらず享楽生活をやめることはせず、国庫の金を湯水のように蕩尽しました。

 

政治的にごく視野の狭い彼女は、明日のパンに困っている人間が存在するということさえ、ついぞ念頭にはのぼせなかった。そもそも世界の悲惨を知らないでいたればこそ、あのように繊細優美はロココの小宇宙に君臨することもできたのである。今やロココの小宇宙もシャボン玉のように砕け、嵐が目前に迫ってきていました。