【作品解説】つげ義春「ねじ式」

つげ義春「ねじ式」

前近代的な世界と近代的な世界が融合


概要


アンドレ・ブルトンは、シュルレアリスム文学の例として、まず「溶ける魚」を自身で書いて世間に示した。


その内容は、どこか叙情的であり、全体的に「死の願望」を漂わせる一方で、現実の決められた序列から「放心」し、地上の平行線上に、さまざまな事象を再構築した別の世界「超現実」の世界に美を見出していくものだった。

 

このシュルレアリスム世界観をマンガで現した代表作品が、つげ義春の「ねじ式」である。「ねじ式」は、つげ義春により1968年月刊『ガロ』6月増刊号「つげ義春特集」に発表された漫画作品である。構造は、「死の病」から「現実」を逃走し、「幻覚の風景」を彷徨うことになるが、「生」を得て「新しい現実」へ生還するというものになっている。

 

海岸(多分千葉の房総のどこか)でメメクラゲに左腕を噛まれ、静脈を切断された主人公の少年が、死の恐怖に苛まれながら「医者はどこだ」と言いながら、医者を求める。


途中、少年がさまよう漁村は、昔ながらの藁葺きの民家と近代的な製鉄工場の建物が同居していたり、狭い村道を、突然、蒸気機関が走り抜けたりと、前近代な世界と近代の世界が同居した分裂した空間である。影響を受けていたのかは知らないが、ジョルジョ・デ・キリコの絵とよく似ており、舞台設定だけみるとシュルレアリスムよりも形而上絵画である。


猫のお面をつけた子供の運転する機関車がやってくるので乗せてもらう。しかしその列車は来た方へ走り、もとの村に戻ってきてしまう。奇妙な村を少年は不条理な目に遇いながらも、必要とした女医(なぜか産婦人科医)に出会い、切断された静脈をバルブネジで接続してもらうことで事なきを得る。ただし、女医からネジを締めると血液の流れが止まってしまうので、ネジは締めないままにしておくよう忠告する。


このラストを見ると、静脈を接続することで死を逃れることはできたものの、一方で、腕にバルブネジが付いたままという「現実」とは少し違う世界「超現実」を生きることを決意したように思えるのである。

 

なおつげは、その後偶然にもこの作品によく似た出来事を現実世界で追体験してしまったようだ。