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【作品解説】ミケランジェロ「カッシナの戦い」

カッシナの戦い / Battle of Cascina

レオナルドと対決したときの未完成画


ミケランジェロの弟子アリストテレス・ダ・サンガッロによる模写。
ミケランジェロの弟子アリストテレス・ダ・サンガッロによる模写。

ミケランジェロの代表作として知られる《カッシナの戦い》。本記事では、この作品がどのような背景で誕生したのか、どのような特徴があるのか、などを詳しく解説します。また、レオナルド・ダ・ヴィンチとの対比も取り上げ、《カッシナの戦い》が持つ意義を掘り下げていきます。ぜひ本記事を読んで、ミケランジェロの作品を深く理解していただければと思います。

 

概要


作者 ミケランジェロ
制作年 1504年
状態 紛失、もしくは破壊

《カッシナの戦い》は、ミケランジェロがフィレンツェのヴェッキオ宮殿からの依頼で制作した未完成のフレスコ画。

 

制作前にローマ教皇ユリウス2世呼び出され、教皇の墓を作ることなったため、原寸大の下絵を残しただけだった。後に下絵は切り刻まれて消失。

 

《カッシナの戦い》は、フィレンツェの民主政治家ピエロ・ソデリーニがミケランジェロに依頼したものである。

 

ヴェッキオ宮殿のチンクエチェントの間(Salone dei Cinquecento)の壁に飾られる予定であった。反対側の壁は、レオナルド・ダ・ヴィンチが《アンギアーリの戦い》を描くよう依頼されていた。レオナルドの方は技法的な問題で失敗、ミケランジェロは教皇ユリウス 2 世に召喚され、制作できなくなった。

 

この二つの戦いは、中世フィレンツェの特筆すべき勝利であった。カッシナの戦いは、1364年7月28日にフィレンツェ軍とピサ軍の間で行われ、結果的にフィレンツェ軍が勝利した。1000人のピサ兵が殺され、200人以上が捕らえられた。

 

ミケランジェロは、ピサ人の攻撃でフィレンツェ軍が最初に不意を突かれた戦いの開始時のシーンで、ピサの攻撃を警告するトランペットに反応して、アルノ川で裸で水浴びをするフィレンツェの兵士を描いている。

 

兵士が川から出て鎧を身につけていると、ピサ人からの銃撃を受ける。数人の兵士が左のピサ陣地を見たり、指さしたりしている。1 人の兵士が殴られて川に転落しているが、他の兵士は精力的に行動に移している。

 

ミケランジェロは彼の好みであるさまざまな姿勢の裸の男性像を描くために、このエピソードを選択したという。

 

ミケランジェロはこのフレスコ画を完成できなかったが、下絵は完成されたものだった。この下絵は何人もの画家によって模写されたが、現存する最も有名な模写は、ミケランジェロの弟子サンガロによるものである。

 

また、ミケランジェロの下絵の一部や、マルカントニオ・ライモンディによるシーンの一部の版画も残されている。

 

ミケランジェロの伝記作家ジョルジョ・ヴァザーリによると、オリジナルの下絵は、持ち主であるジュリアーノ・デ・メディチ公が病気療養中に、他の職人によって意図的に切り刻まれ、イタリア中に配られたという。

《カッシナの戦い》に関するミケランジェロの習作。
《カッシナの戦い》に関するミケランジェロの習作。
《カッシナの戦い》に関するミケランジェロの習作。
《カッシナの戦い》に関するミケランジェロの習作。

■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Cascina_(Michelangelo)、2023年2月1日アクセス