【美術解説】モイズ・キスリング「女性肖像画が得意なエコール・ド・パリの画家」

モイズ・キスリング / Moïse Kisling

女性肖像画が得意なエコール・ド・パリの画家


《赤いジャンパーと青いスカーフのモンパルナスのキキ》1925年
《赤いジャンパーと青いスカーフのモンパルナスのキキ》1925年

概要


生年月日 1891年1月22日
死没月日 1953年4月29日
国籍 ポーランド、フランス
表現形式 絵画
ムーブメント エコール・ド・パリ
関連人物 アメディオ・モディリアーニモンパルナスのキキ
関連サイト WikiArt(作品)

モイズ・キスリング(1891年1月22日-1953年4月29日)はポーランド生まれのユダヤ系フランス人画家。

 

オーストリア・ハンガリー二重帝国時代のクラクフ(現在のポーランド南部)にユダヤ人として生まれ、地元クラクフの美術学校で学ぶ。教師ユゼフ・パンキエヴィッチは、20世紀初頭の芸術運動の中心地だったフランスのパリに移ることをキスリングに勧める。

 

1910年、19歳のときにキスリングはパリのモンマルトルに移り、画家として活動を始める。1912年にモンパルナス地区の洗濯船に移り住む。そこで、東欧人やアメリカ人とイギリス人など外国人芸術家で構成される移民コミュニティ、通称「エコール・ド・パリ」に参加する。

 

第一次世界大戦が勃発すると、キスリングはフランスの外国部隊に志願する。1915年にソンムの戦いで負傷した後、フランス市民権を授与された。

 

その後、モンパルナスに戻るとそこにアトリエと住居を借り1940年まで活動する。ジュール・パスキンやアメディオ・モディリアーニらと同じ建物(洗濯船)に住んでいた。モディリアーニを含む多くの同時代の画家たちと親交を深めた。

 

キスリングの絵画スタイルはマルク・シャガールとよく似ている。おもに女性の肖像画、シュルレアルなヌード絵画などで評価を高めた。代表作として、モンパルナスのキキの肖像画(Nu assis)などがよく紹介される。また、友人のモディリアーニはキスリングの肖像画をたくさん描いている。

 

キスリングは、第ニ次世界大戦中の1940年に49歳で軍隊に再志願する。ドイツ軍に降伏してフランス軍が解体されるとキスリングはアメリカへ移住する。ユダヤ人だったため、当然ながら占領下のフランスで暮らすのを恐れた。

 

移住後、ニューヨークやワシントンで展示活動を行う。また、カリフォルニアに移住し、1946年までアメリカに住む。

 

第二次世界大戦が終了するとフランスへ帰国する。1953年4月29日、キスリングは、フランスのプロヴァンス・アルプ・コート・ダジュールのサナリー・シュル・メールで亡くなった。

《ルネ・キスリングの肖像》1919年
《ルネ・キスリングの肖像》1919年

■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Mo%C3%AFse_Kisling、2020年2月11日アクセス