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【作品解説】ジャン・フランソワ・ミレー「落穂拾い」

落穂拾い / The Gleaners

最下層の人々を同情的に描いた


広い畑の片隅で、静かに落ち穂を拾う三人の女性——ジャン=フランソワ・ミレーの代表作『落穂拾い』は、農民の労働を力強く描きながらも、当時の社会に衝撃を与えた作品でした。上流階級からは不穏な絵と見なされ、発表当初は冷たい視線を浴びましたが、時代とともにその評価は変わり、多くの画家や映画監督、さらには現代のゲームにも影響を与えています。なぜこの作品がこれほどまでに語り継がれるのか? その背景と魅力を探ります。

概要


作者 ジャン・フランソワ・ミレー
制作年 1857年
メディウム キャンバスに油彩
ムーブメント 写実主義バルビゾン派
サイズ 83.8 cm × 111.8 cm
所蔵者 オルセー美術館

『落穂拾い(Des glaneuses)』は、フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーが1857年に描いた油絵です。現在、パリのオルセー美術館に展示されています。

 

 

この絵には、収穫が終わった畑で、落ちた麦の穂を拾う三人の女性が描かれています。彼女たちは当時の農村で最も貧しい人々でした。「写実画(リアリズム)」の代表的な作品で、ミレーはそんな彼女たちの率直に描きました。しかし、当時の美術業界では好まれませんでした。

ミレーの『落穂拾い』とその評価

制作の経緯


ミレーは1854年に『落穂拾い』と同じテーマの縦構図の作品を描き、1855年にはエッチングを発表しました。そして、1857年のサロン(フランスの公式美術展)で、現在広く知られている『落穂拾い』を発表しました。

当時の反応

この作品は、中産階級や上流階級から強い反発を受けました。彼らは、貧しい農民の姿が描かれていることに警戒心を抱き、ある美術批評家は「1793年のギロチン処刑(フランス革命期)を思わせる不穏な気配がある」と述べました。

歴史的背景と社会的影響

1857年当時、フランスは1848年の革命を経たばかりで、上流階級の人々は社会の不安定さを強く意識していました。『落穂拾い』は、労働者階級の厳しい現実を真正面から描いたため、富裕層にとっては社会の構造を思い出させる不快な作品でした。さらに、労働者階級の数が圧倒的に多かったため、反乱の可能性を想起させ、上流階級の不安を煽ることになりました。そのため、この作品は歓迎されなかったのです。

《落穂拾い》のエッチング,1855年
《落穂拾い》のエッチング,1855年

画面の大きさと批判

また、『落穂拾い』のサイズ(縦84cm×横112cm)は、通常、宗教画や神話画に用いられる大きさであり、労働者を描いた作品としては異例でした。ミレーの作品には宗教的な象徴も神話的な要素もなく、ただ農民の厳しい生活がリアルに描かれていました。そのため、ある批評家は「まるで貧困を司る三女神のようにふるまっている……彼女たちの醜さと粗野さには何の救いもない」と酷評しました。

『落穂拾い』は社会を映す鏡だった

『落穂拾い』は、バルビゾンやその近くのシャイイ村に暮らす最も貧しい人々の姿をリアルに描いたものです。この地域では、フランスの近代化が進む中で、大きな変化が起こっていました。

 

この地域は、フランスの首都パリから約56キロ(35マイル)の距離にありました。パリの人口は1831年から1851年の間に倍増し、この地方の農地はパリに食料を供給するために重要な役割を果たしていました。フォンテーヌブローの森に隣接するこの広大な農地は、パリと鉄道で結ばれ、都市の食料需要に応えるために大きく変わっていったのです。

 

 

19世紀のフランスの農村では、大きな変化があったのはパリ周辺やフランス北部だけで、他の地域ではほとんど生活が変わりませんでした。そのため、ミレーが1850年代にこのような貧しい農民の姿を大きなキャンバスで描いたことは、当時としてはとても新しい試みだったのです。

聖書的な要素との違い

「落穂拾い」というテーマ自体は、聖書の『ルツ記』などにも見られます。しかし、従来の宗教的な絵画とは異なり、ミレーの作品には信仰や共同体の温かさはありませんでした。貧しい女性たちが手前に、豊かに実った収穫の山が奥に配置されている構図には、皮肉なコントラストがあり、当時の社会の厳しさを強調していました。

その後の評価とオークション

サロン展の後、経済的に困窮していたミレーは、この作品を4000フランで売りたかったものの、イギリス人バインダーとの交渉の末、わずか3000フランで手放しました。ミレーはこの低すぎる価格を周囲に知られないようにしていたといいます。

 

しかし、ミレーの死後、彼の作品の評価は急速に高まりました。1889年には銀行家フェルディナン・ビショフスハイムが所有していた『落穂拾い』が競売にかけられ、30万フランで落札されました。当初、アメリカのコレクターが購入を狙っているという噂がありましたが、1週間後にシャンパーニュメーカーのジャンヌ=アレクサンドリーヌ・ルイーズ・ポメリーが購入したことが公表されました。彼女は経営方針をめぐる財政難の噂を払拭することにもなりました。

 

 

1891年、ポメリー夫人の死後、彼女の遺言により『落穂拾い』はルーヴル美術館に寄贈されました。そして、現在はパリのオルセー美術館に所蔵されています。

後世への影響


『落穂拾い』は、ミレーの代表作のひとつで、多くの画家に影響を与えました。畑で落穂を拾う農婦たちの姿は、その後のピサロ、ルノワール、スーラ、ゴッホといった画家たちの作品にも登場しています。

 

美術史家のロバート・ローゼンブラムは、「ミレーのこの作品は、19世紀半ばの絵画に新たなテーマをもたらした。この影響は都市や農村の絵画に広がり、ドーミエやドガの洗濯女、カイユボットの床削り職人のような作品にもつながった」と語っています。

ギュスターブ・カイユボット《床削りの人々》,1875年
ギュスターブ・カイユボット《床削りの人々》,1875年

『落穂拾い』は社会を映す鏡だった

この作品は、2000年に公開されたアニエス・ヴァルダ監督の映画『落穂拾い、そして私』にも影響を与えました。さらに、この映画は2019年にアメリカのジャズ・ベーシスト、ラリー・グレナディアが発表したアルバムのインスピレーションにもなっています。

 

 

また、『落穂拾い』はNintendo Switchのゲーム『あつまれ どうぶつの森』にも登場し、美術館に寄贈できる絵画のひとつとして収録されています。このように、ミレーの作品は、150年以上経った今でも多くの人々に親しまれています。


■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/The_Gleaners、2022年10月19日アクセス