【映画解説】ヴィラ・ヒティロヴァ「ひなぎくの監督」

ヴェラ・ヒティロヴァ / Věra Chytilová

60年代チェコ映画『ひなぎく』で乙女のカリスマに!


『ひなぎく』1966年
『ひなぎく』1966年

概要


生年月日 1929年2月2日
死没月日 2014年3月12日
国籍 チェコ
表現媒体 映画
ムーブメント チェコ・ニューウェーブ(チェコ・ヌーヴェルヴァーグ)

ヴェラ・ヒティロヴァ(1929年2月2日-2014年3月12日)はチェコの前衛映画監督。チェコ映画の開拓者。

 

1960年代にチェコスロバキア政府から上映禁止処分を受けたチェコ・ニューウェーブ映画『ひなぎく』の監督として一般的に知られている。

 

『ひなぎく』は世界中で高い評価を受けており、日本でも1991年に公開され現在も人気が高く、ガーリー映画の代表作として多くの女性の心をつかんでいる。『ひなぎく』がチェコで上映禁止処分を受けると、ヒティロヴァ監督自身も1969年から7年間にわたる活動停止を余儀なくされる。

 

1976年の『りんごゲーム』で活動を再開すると、1980年代には日本未公開作も含めて5本の新作を発表する。1987年作のホラー映画『Wolf's Hole』は、第37回ベルリン国際映画祭にエントリー、1989年作のコメディー映画『A Hoof Here, a Hoof There』は、第16回モスクワ国際映画祭にエントリー、1992年作のコメディ映画『The Inheritance or Fuckoffguysgoodday』は、第18回スクワ国際映画祭にエントリーされた。

 

フランス芸術文化勲章、チェコ勲章、チェコ・ライオン賞を受賞。2014年3月12日、プラハで死去。85歳。

略歴


若齢期


ヒティロヴァは、1929年2月2日、チェコスロヴァキアのオストラヴァで生まれた。彼女は厳格なカトリックの家庭で育ったが、このことはのちに、彼女の映画で表現される道徳的問題の多くと結びついている。

 

大学でヒティロヴァは、哲学と建築を学んでいたが、これらの勉強を放棄し、製図工やファッションモデル、写真レタッチなどの仕事をこなし、プラハのバランドフ撮影所でカチンコ担当として働くようになる。直接、映画制作に携わりたいと考えていたが、バランドフ撮影所から推薦を得ることはできなかった。

 

その後、彼女は28歳でチェコ国立芸術アカデミー映画学科(FAMU)に入学して、映像制作の勉強を始める。FAMU在学中は著名な映画監督オタカール・ヴァヴラのもとで学び、1962年に卒業。同じ時期にFAMUで学んでいた学生には、イジー・メンツェルやエヴァルト・ショルムら、のちのチェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグの担い手になる若き映画監督たちがいた。

 

FAMU卒業後、ヒティロヴァの短編映画がチェコスロヴァキア国内で上映された。1963年にヒティロヴァの初長編作品『Something Different』が公開された。

『ひなぎく』で国内外で有名になる


1966年に代表作となる『ひなぎく』が公開。国内で大きな物議を醸し出した。『ひなぎく』はクールな少女キャラ非連続的でシュールな物語前衛的なビジュアルスタイルで知られる作品である。ヒティロヴァによれば、観客の同情を制限し、自分の根本的な考えや哲学が伝えられるよう『ひなぎく』は構成されているという。

 

この映画は1966年に公開されてから1967年まで、食べ物を粗末にしているという理由でチェコスロヴァキアで上映が禁止された。

 

しかし、1966年にイタリアのベルガモ映画祭でグランプリを獲得したのをきっかけに、『ひなぎく』は国内外でヒティロヴァの名声を高める出世作となった。

動画


■参考文献

Věra Chytilová - Wikipedia