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【美術解説】幻想絵画「シュルレアリスティックな写実主義絵画」

幻想絵画 / Fantastic art

シュルレアリスティックな写実主義


概要


シュルレアリスティックな写実主義


幻想絵画(幻想芸術)は、その名前の通り、幻想的なモチーフが描かれた芸術である。「幻想」は英語では「ファンタスティック」と呼び、1950年代にウィーン幻想派(ファンタスティック・リアリズム)という芸術ムーブメントが発生したのをきっかけに、世界的に「幻想絵画」が広まるようになる。

 

近代以前、ルネサンスやバロック時代にもすぐれた幻想芸術は存在したが、その大半は聖書や神話の世界にもとづくものだだった。しかし、宗教や過去の伝統にとらわれなくなった近代美術における幻想絵画は、特にロマン主義から始まるといってよい。

 

16世紀半ばから後半にかけてのマニエリスムで目立ち始め、18世紀後半から19世紀にかけてのロマン主義、19世紀の象徴主義あるいは世紀末芸術、または20世紀ではシュルレアリスムの時代が近代幻想絵画のひとつの流れである。

 

これらの時代に共通するのは、価値基準が失われた混迷の、あるいは危機的な時代、しかし見方によっては多様性に富む、新たな試みを模索する時代だったことである。

 

もうひとつの共通点は、黒を黒といい、白を白というだけの、想像力の入り込む余地のない自然主義に敵対する立場である。その意味では「天使は見えないから描かない」と主張した写実主義のクールベは天敵である。

 

戦後、ウィーン幻想派が広まり、幻想文学などが流行しはじめると、1960年から61年にかけて、クロード・ロワ、マルセル・ブリヨン、ルネ・ド・ソリエは『幻想美術』という著書を出版し、幻想文学もまた広く知られるようになった。

 

1971年にツヴェタン・トドロフは「ファンタスティックとは、自然の法則しか知らないものが、超自然的様相をもった出来事に直面して感じるためらいのことである」(『幻想文学序説』)と幻想文学上で定義しているが、同じ「ファンタスティック」という言葉が使われている以上、美術、絵画にもほぼ通用する定義である。

 

要するに、私たちがふだん慣れ親しんでいるような現実世界のただなかに、超自然的なもの、異常なもの、説明のつかないものが侵入してくるとき、私たちは「ファンタスティック」を体験するのだという意味である。巖谷國士によれば「幻想絵画」の定義はこれで完了している。

 

シュルレアリスムとほぼ同じだが、幻想絵画はマッソンやミロのようなオートマティスム系の抽象画ではなく、暗い陰鬱な写実的な具象画であることが違いだろう。

 

それが「ファンタスティック・リアリズム(ウィーン幻想派)」であり、「幻想絵画(ファンタスティック・アート)」である。

 

幻想美術とかかわりの深い言葉、キーワードを挙げると、夢、幻覚、無意識、眠り、恍惚、神秘、不可思議、秘密、謎、ヴィジョン、メタモルフォーゼ、宇宙、無限・永遠、夜、闇、光と影、廃墟、迷宮、死、妖精、童話的世界、楽園・天国、地獄、などが挙げられる。

ウィーン幻想派


ウィーン幻想派は、第二次大戦直後のオーストリアの首都ウィーンに出現した、奇妙な幻想絵画を描く画家たちである。ウィーン美術学校のギュータースロー教授のもとに集まった5人の若い画家たち、ルドルフ・ハウズナー、ヴォルフガング・フッター、アリク・ブラウアー、アントン・レームデン、エルンスト・フックスがウィーン幻想派の代表的な作家として知られている。

 

彼らはお互いに主題も技法も問題意識も大きく異なっていながら、

  • 細密描写と鮮烈な色彩によって具象的なイメージを描いている点
  • 幼少期の記憶や過酷な戦争体験などの個人的なトラウマを自己の芸術の下敷きとしている点
  • 社会と人間存在の暗黒を戯画的に描こうとする点

などにおいて共通項を持っていた。

 

それらは、ウィーン分離派シュルレリスムの正当な後継者であり、また長い西欧美術の中連綿と受け継がれてきた具象絵画の系譜の末裔であり、同時期にアメリカ中心に発展して抽象・コンセプチュアルが中心の現代美術とは明らかに異なるものだった。

 

日本では1971年に小田急百貨店にて日本人作家61名による「現代の幻想絵画展ー不安と恐怖のイメージを探る」が開催され、広い意味で日本における幻想絵画を探索してみようと企画された。

 

同年、東京小田急百貨店で「ウィーン幻想絵画展」が開催され、ルドルフ・ハウズナー、エルンスト・フックス、アントン・レームデン、ヴォルフガング・フッター、エーリッヒ・ブラウァの作品100点が紹介されている。

 

また、1993年に滋賀県立近代美術館で「ウィーン幻想派展」が開催されている。上記の「ウィーン幻想絵画展」から約20年ぶりの総合的な展覧会である。その後、ウィーン幻想派の総合的な展覧会は日本で開催されていない。

 

日本の戦後美術史を把握する『美術手帖』1978年7月号増刊「特集:日本の現代美術三年」は、戦後美術を概観するには信頼できる資料であったが、残念ながら「ウィーン幻想絵画展」は掲載されておらず、現在も「幻想絵画」と呼ばれる作家とは距離を置いているように思われる。

 

また、現代美術のギャラリーも幻想絵画を扱うギャラリー群に関して、「近代美術系」「銀座系」と曖昧な言葉を使って、距離を置き差別化してるようにおもわれる。アートフェア東京は、幻想絵画関連のギャラリーと現代美術のギャラリーを意図的に区別してスペースを作っている。

 

1992年10月、フランスの美術批評家オリヴィエ・セナは近代美術史の起源について次のように一般の注意を喚起した。「19世紀に生まれた美術史という学問は、近代美術の誕生に当たり、ロマン主義ではなく印象主義を選んだ」と。

 

おそらく日本ぼ美術史における幻想絵画に対する軽視は、ロマン主義の系譜ではなく印象主義の系譜がメインストリームになったことと関連するのではないだろうか。幻想美術は異端でもなく、近代美術が生んだロマン主義や象徴主義の系譜を持つ近現代美術のスタイルの1つなのである。

『一角獣の変身 青木画廊クロニクル1961-2016』より。
『一角獣の変身 青木画廊クロニクル1961-2016』より。
「ウィーン幻想絵画展」1972年図録
「ウィーン幻想絵画展」1972年図録
アートフェア東京の展示構成。黒エリアは現代美術、赤エリアは幻想美術やほかのジャンルの芸術。
アートフェア東京の展示構成。黒エリアは現代美術、赤エリアは幻想美術やほかのジャンルの芸術。

日本の曖昧な「幻想絵画」


 日本で現在使われている「幻想絵画」「幻想芸術」にはこのような定義がなく、また美術史的文脈においても「もの派」や「実験工房」のような明確な「幻想」を主張した芸術集団、定義した学者は存在せず曖昧な状態になっている。

 

西洋の言葉の「ファンタジー(根拠のないはっきりしない思いつき、奇想)」、「イリュージョン(実在しないものを実在するかのように感じること、幻影、錯覚)」、「ヴィジョン(見えなものを見ること、幻視)」、シュルレアリスム、女性ポートレイト、エロティック・アート、その他もろもろの言葉であらわされ区別されている言葉をひとまとめに「幻想」と称している。 

 なお、幻想絵画では少年や少女がモチーフとして描かれるが商業絵画やポップアート、一般的なポートレイト絵画と異なり、可愛くないケースが多い。具体的な理由はないが、画家の建石修士と谷神健二は『一角獣の変身 青木画廊クロニクル』で次のように話している。

 

建石:僕は少年を描くけれど、少年そのものを描きたいわけではない。少年を描くことによって少年性みたいなもの、その気配というか。

 

谷神:今、はじめて一致した。僕も少女性みたいなものと、その背後にあるもの、環境・生活みたいなその子の持っているものを描きたい。

青木画廊と瀧口修造


現在このような背景を持つ日本の幻想絵画であるが、日本で幻想絵画という言葉が使われるようになったと思われるルーツはいくつか存在する。

 

最も有力なルーツの1つは青木画廊と瀧口修造である。青木画廊が1965年に開催した瀧口修造によるキュレーションで、エーリッヒ・ブラウナー、ヴィクトル・ブローネル、フンデルトウァッサー、ゾンネンシュターン、フェリックス・ラビス、E・バイなど、傍流シュルレアリスムとウィーン幻想派(ファンタスティック・リアリズム)が入り乱れた展覧会「夜想」を開催する。

 

このときの展覧会全体の印象が日本における「幻想絵画」の源流の1つとなっている。その後、青木画廊はウィーン幻想派の画家を日本に積極的に紹介するようになる。1965年から1966年にかけてウィーン幻想派の創設者で代表的な画家だったエルンスト・フックスの個展『一角獣の変身』を開催する。

 

このとき、すで本家ヨーロッパのシュルレアリスム作家と親交が深く、また日本の美術評論に強い影響力を持ち、青木と親交の深く、1958年に『幻想画家論』というタイトルの書籍を出していた瀧口修造は、ウィーン幻想派を紹介すると同時に松澤有や野地正紀などの国内の作家を紹介する。なお、『幻想画家論』で紹介されている画家は戦前の前衛美術が中心で、ウィーン幻想派の紹介ではない。

 

青木画廊の創業者・青木外司と瀧口修造は富山の同郷だった。そのつきあいは、青木外司の東京画廊時代までさかのぼる。青木は東京画廊時代に、瀧口修造と協力して、斎藤義重、浜口陽三、フンデルトヴァッサーなどの展覧会を企画している。

 

また、1961年に開廊した青木画廊は最初期は、池田龍雄、中村宏、山下菊二など戦前のヨーロッパの前衛芸術に影響を受けた戦後日本の若手の前衛芸術家を紹介していた。

 

ちなみに、幻想文学や幻想美術を紹介していたペヨトル工房の雑誌『夜想』というタイトルの由来は、今野裕一によればこの展覧会名を由来としている。

 

戦後のアメリカの現代美術の作風になじめない日本の画家たちの中には、幻想絵画や青木画廊が紹介している画家たちに関心を持つものがかなりいた。

 

当時の日本の美術業界や画家たちはフォーヴィズムや表現主義が主流で、そんななか青木画廊だけがシュルレアリスムや幻想絵画の方向性で、稀有な存在だった。「青木画廊」と聞くと「ああ、幻想系」とパっと思いつくような存在だった(現在も変わらず)。青木外司によれば、ウィーン幻想派の影響が大きかったという。

 

画家の市川伸彦は1972年の「ウィーン幻想絵画展」の図録を手にしたときに何か「腑に落ちる」ものをかんじ、最初から求めていた絵画の方向を見出した。ウィーン派の用いる絵画技法が、市川をヨーロッパ古典絵画に結びつけた。そして、市川の絵をウィーン幻想派、幻想絵画へと繋げてくれる場所が青木画廊だったと話している。

澁澤龍彦の「幻想絵画」


もう一つの「幻想絵画」のルーツとなるのが澁澤龍彦である。1967年に澁澤龍彦が出した『幻想の画廊から』という美術書は世間に対して影響を与え、その後「幻想絵画」という言葉が日本で拡散しはじめた。

 

このとき、澁澤が紹介して「幻想絵画」は前半はシュルレアリスムの画家たちで占められていた。

 

紹介されたシュルレアリスム作家は、スワンベルク、ハンス・ベルメール、ヴィクトル・ブローネル、ジョゼフ・クレパン、ルイス・ウェイン、ポール・デルヴォー、レオノール・フィニー、バルテュス、イヴ・タンギー、ルネ・マグリット、ゾンネンシュターン、サルバドール・ダリ、マックス・エルンスト、フランシス・ピカビア、エッシャーである。

 

後半はモンス・デシデリオ、アルチンボルド、ホルバイン、ギュスターブ・モローなど近代美術以前のマニエリスムの系譜(後期イタリア美術の様式で高度な技術で非現実的な絵画を描写するようなもの)にある絵画全般を時代に関係なく、好きなものを選んで批評している。なお、ウィーン幻想派の画家は紹介されていなかった

 

シュルレアリスム絵画とマニエリスムの系譜にある絵画を融合した形で、「幻想絵画」という独自の澁澤美術が誕生していた。ウィーン幻想派よりもおそらく澁澤龍彦が扱っていた芸術家たちのほうが一般的に「幻想絵画」として知られている。

青木画廊と澁澤龍彦


独自の「幻想絵画」を形成していた澁澤龍彦が、1966年の横尾龍彦の個展パンフレットに関わるようになって以来、青木画廊と関わるようになる

 

これまでウィーン幻想派と瀧口が紹介する画家を中心に紹介していた青木画廊にとって大きな契機となったのは澁澤龍彦の参加だった。

 

以降、青木画廊は、瀧口修造とともに澁澤龍彦という時代のアジテーターを得て、四谷シモン、川井昭一、横尾龍彦などの個展を次々とおこない、1960〜1970年代に日本の幻想芸術、具象シュルレアリスム、耽美的な作家を扱う画廊として認知されるようになった

 

青木外司によれば、澁澤さんや「四谷婦人会」のおかげで客がずいぶん増え、有名デパートの社長もきて絵を買ってくれたという。美術専門や画商だけでなく、映画関係者、デザイナー、カメラ関係、有名人など美術と関わりのない著名人がたくさん来るようになる。これまでの瀧口・ウィーン幻想派から、瀧口・澁澤という新しい美術シーンが青木画廊で形成されはじめたという。

 

澁澤が文章を寄せた画家は、横尾龍彦、金子國義、高松潤一郎、四谷シモン、川井昭一、ボナ、秋吉巒である。また、この時代に青木画廊が扱って画家はほかに小沢純、大山弘明、藤野級井、松井喜三男、杉原玲子、池田一憲、高橋一榮、三輪休雪などがいる。

 

同じ青木画廊でも1970年代以降の画家は、社会との関係性よりも個人の内面的問題、個人のイメージが強くなる。

 

現在の青木画廊は七戸優など「新世代」となる作家を中心に活動を展開している。彼らの特徴としては、文学、哲学、歴史、音楽など美術にとどまらない諸表現に影響を受けながら作品を創作していることである。

七戸優
七戸優

エロティシズム


1983年から2006年まで西武渋谷店の近くに存在したアートスペース美蕾樹も幻想作家を数多く紹介していた。

 

主催者は生越あき子で、もともとは不忍画廊に勤めていたが、個人的にトワイヤンの個展と紹介をするため自身の画廊を開いたという。美蕾樹から誕生した画家としては桑原弘明がいる。

 

また、この画廊は幻想美術だけでなくピエール・モリニエやゲイ雑誌「薔薇族」の表紙を手掛けていた甲秀樹のようなエロティシズムやフェティシズムに主題を置いた画家、またドロテア・タニングやウニカ・チュルンなどのあまり紹介されない女性のシュルレアリスム作家を多数紹介して、独自のアートシーンを築いていた。

 

甲の個展を開催したことで「薔薇族」の読者がたくさん来るようになり、幻想絵画とエロティック・アートやゲイ・アートの境界線が曖昧になりはじめた。甲以外に幻想絵画とゲイアートを両立している画家としては、同じく「薔薇族」でイラストレーションを手掛けていた稲垣征次がいる。稲垣は2003年には渋谷のアートスペース美蕾樹で初個展を開催している。

 

2000年代になるとよりエロティック・アートを基盤にしたヴァニラ画廊や女性のシュルレアリスム作家に基盤にしたシス書店が開廊する。

 

なお、エロティシズムが幻想絵画と強く結びつくきっかけになったのは澁澤龍彦だと思われる。澁澤は美術の様式や文脈で作家を批評するのではなく、性的主題から作家を批評していた。

特定の芸術運動や歴史時代を指さない


英語版Wikipediaによれば、ファンタスティック・アートは、広義的で曖昧な定義付けられている芸術ジャンルである。ファイン・アートと異なり特定の芸術運動、地理性、歴史的時代によって定義付けられていない

 

また、シュルレアリスムやフォーヴィズムなどの「様式」を重視するファイン・アートと異なり、描かれている「主題」を重視する傾向が強く、非現実的、神秘的、神話的、土俗的な主題やモチーフが、抽象的ではなく漫画や雑誌や小説のイラストレーションのようなスタイルで具象的に描かれる。

 

ファンタスティック・アートが内包する要素は、その誕生以来、芸術史において不可欠な要素で、特にマニエリスム、マジック・リアリズム、ロマン主義、象徴主義、シュルレアリスム、ローブロー・アートで重要な意味を持つ。

 

フランス語ではファンタスティック・アートというジャンルは「ル・ファンタスティック」と呼ばれており、英語ではほかに類似用語として「ヴィジョナリー・アート(幻視芸術)」や「グロテスク・アート」や「マニエリスム」と呼ばれることもある。それらはファンタジー文学との深い循環的な相互作用がある。

 

しかし、最近のファンタスティック・アートは、アーティストの経験、またはドラッグの体験に基づいて描かれており、主題となるものは幻覚作用とよく似ている。ファンタスティック・アーティストのリチャード・ダッドは、その生涯の大半を精神病院で過ごしていた。

 

サルバドール・ダリは有名な言葉に「私と狂人の唯一の違いは、私は狂っていないということだ」と話しており、シュルレアリスムとファンタスティック・アートは区別すべきものかもしれない。

 

ファンタスティック・アートとは別にファンタジー・アートがあり、これはおもにファンタジー文学に影響を受けた、またはファンタジー文学を描写した最近の芸術(通常20世紀以降)に適用される。この言葉はいくぶん軽蔑的な意味合いも含まれている。

 

ファンタスティック・アートは伝統的にこれまで絵画やイラストレーションに限定して使われてきたが、1970年代以降は写真作品でも使われるようになった。ファンタスティック・アートは、ファンタジー、想像力、夢の状態、グロテスク、ヴィジョン、不気味なもの、いわゆるゴス・アートなどを探求しているともいう。

幻想絵画と関連のある人物


ジュゼッペ・アルチンボルド

ジョン・バウエル

ウィリアム・ブレイク

アーノルド・ベックリン

ヒエロニムス・ボッシュ

ブリューゲル

ガストン・ビュシエール

マルク・シャガール

ジョルジョ・デ・キリコ

リチャード・ダッド

サルバドール・ダリ

ポール・デルヴォー

ジャン・デルヴィル

イーヴリン・ド・モーガン

モンス・デジデリオ

ギュスターヴ・ドレ

マックス・エルンスト

カスパー・ダーヴィト・フリードリッヒ

ヘンリー・フセリ

フランシスコ・デ・ゴヤ

ハンス・バルドゥング・グリエン

マティアス・グリューネヴァルト

トーマス・ヘフナー

マックス・クリンガー

アルフレッド・クービン

ギュスターヴ・モロー

ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ

アーサー・ラッカム

オディロン・ルドン

ニコライ・リョーリヒ

アンリ・ルソー

フランツ・セドラセク

イヴ・タンギー

クロヴィス・トルイーユ

ミハイル・ヴルーベル

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス

ジョージ・フレデリック・ワッツ

北脇昇(1901〜1951)

三岸好太郎(1903〜1934)

靉光(1907〜1946)

高山辰雄(1914〜1991)

小山田二郎(1914〜1991)

武部本一郎(1914〜1980)

小松崎茂(1915〜2001)

工藤甲人(1915〜2011)

妹尾一朗(1947〜2015)

高山良策(1917〜1982)

山下菊二(1919〜1986)

國領經郎(1919〜1999)

斎藤真一(1922〜1994)

牧野邦夫(1925〜1986)

前田常作(1926〜2007)

松樹路人(1927〜)

鴨居玲(1928〜1985)

澁澤龍彦1928〜1987)

藤田吉香(1929〜1999)

中村宏(1930〜)

平山郁夫(1932〜2009)

佐藤晨(1935〜)

奥谷博(1934〜)

金子國義(1935〜)

長岡秀星(1936〜)

横尾忠則(1936〜)

司修(1936〜)

山本文彦(1939〜)

合田佐和子(1940〜)

キヌコヤマベ・クラフト(1940〜)

高松潤一郎(1941~)

タイガー立石(1941〜1998)

四谷シモン(1944〜)

有元利夫(1946〜1985)

遠藤彰子(1947〜)

智内兄助(1948〜)

井上直久(1948〜)

蛇雄(1948〜)

建石修志(1949〜)

加藤直之(1952〜)

天野喜孝(1952〜)

籔内佐斗司(1953〜)

野又穫(1955〜)

七戸優(1959〜)

清水真理(1972〜)

松本潮里(生年不詳)

池田学 (画家)(1973〜)

石田徹也(1973〜2005)

松井冬子(1974〜)

ヒグチユウコ(生年不詳)

高松和樹(1978〜)

近藤聡乃(1980〜)

篠原愛(1984〜)

桂典子(1988〜)


■参考文献

https://ja.wikipedia.org/wiki/幻想絵画

・『一角獣の変身 青木画廊クロニクル1961-2016』青木画廊編

・『現代パリの幻想画家たち』図録

・アートコレークターズ2019年9月号