ヘレニズム美術 / Hellenistic art
ルネサンスとヴァンダリズム
概要
ヘレニズム美術とは、一般に紀元前323年のアレキサンダー大王の死から始まり、ローマ帝国によるギリシャ世界の征服で終了する紀元前30年までの間に制作された頃の美術。
『ラオコーンとその息子たち』(紀元前160年)、『ミロのヴィーナス』(紀元前130年)、『サモトラケのニケ』(紀元前200年)など、ギリシア彫刻の有名な作品の多くがヘレニズム美術である。
ヘレニズムとは、アレクサンドロスの死後、ギリシャ語の影響力が拡大し、その思想が広まったこと、つまり、コイネーギリシャ語を共通語とする世界の「ヘレン化」を指す言葉である。
ヘレニズム美術は、16世紀に始まるルネサンス美術の対象であり、また未来におけるヴァンダリズムの再発見となるもの。
一般的な美術史で「古代ギリシア・ローマ美術」と呼ばれることが多く、ヘレニズム美術という言葉が使われることは多くない。
しかし、ルネサンスで発見された古代ギリシア・ローマ美術とは、アテネやスパルタなどの古代ギリシア都市で生まれた美術やローマ帝国成立後の美術とは異なり、ポリス崩壊後のアレキサンダー大王が支配したエーゲ海一帯を含む広大な地域であり、また時代的にも大きな広がりを持つ。
ヘレニズム時代の決定的な特徴は、アレキサンダー帝国が、エジプトのプトレマイオス朝、メソポタミア、ペルシャ、シリアのセレウコス朝、ペルガモンのアッタール朝など、ディアドコイが建てた小王朝に分裂したことである。これらの王朝は、以前のギリシアの都市国家とは異なる王権的な政治を実践した。
アレキサンダーの側近には3人の芸術家がいた。彫刻家リュシッポス、画家アペレス、そして宝石彫刻家ピルゴテレスである。
アレキサンダーの死後、ギリシア世界の大部分、少なくとも裕福な人々にとっては、大きな繁栄とかなりの贅沢がもたらされた時代であった。
王族は芸術の重要なパトロンとなった。彫刻、絵画、建築が盛んになったが、壺絵は大きな意味を持たなくなった。金属細工やさまざまな贅沢品から多くの美術品が生み出された。民衆芸術の中には、ますます洗練されていくものもあった。