【美術解説】ナビ派「写実を否定し総合主義の系譜を受け継ぐ集団」

ナビ派 / Les Nabis

写実を否定し総合主義の系譜を受け継ぐ集団


ポール・セリュジエ「タリスマン(護符)、愛の森を流れるアヴェン川」1888年
ポール・セリュジエ「タリスマン(護符)、愛の森を流れるアヴェン川」1888年

概要


ナビ派は1890年代のフランスにおける後期印象派の1グループ。ヘブライ語で「預言者」を意味する「ナビ」という言葉を用いて、自らを新しい象徴的、主観的な芸術の創始者と主張した。ファイン・アートだけでなく、ポスター、舞台芸術、グラフィック・アートなど幅広い領域で活動しているのが特徴である。

 

ナビ派の様式のルーツはポール・ゴーギャンであり、彼に教えを受けたポール・セリュジェが仲間たちを集めて形成した。当初は近代美術と文学の両方に興味があったグループで、彼らの多くは1880年代後半にパリにあったロドルフ・ジュリアンの美術学校(アカデミー・ジュリアン)の生徒だった。代表的な画家はポール・セリュジェ、モーリス・ドニ、ピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤールである。

 

ナビ派の画家たちはゴーギャンの総合主義を中心として、ポール・セザンヌの古典的な造形性や抽象性、オディロン・ルドンの象徴主義などの内面的表現にも影響を受け、対して自然主義や写実主義を否定していた。後期印象派と20世紀前衛芸術をつなぐ存在とみなされている。

 

1890年代、彼らは公的な展覧会に参加し始め注目を集めるようになるが、彼らの芸術作品の多くは個人蔵、もしくは芸術家自身が所有していた。1896年ころにグループの結束は破綻しはじめており、活動期間は短い。

 

しかし、モーリス・ドニ、ピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤールといったナビ派のメンバーの多くは、すでに独自の様式を確立しはじめていた。ポール・セリュジエのみ問題があり、ポール・ゴーギャンのアドバイスを受け、タリスマンの方向を目指した。

歴史


■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Les_Nabis

https://bijutsutecho.com/magazine/insight/3343

・西洋美術史 美術出版社

・西洋美術の歴史7 19世紀 中央公論社