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【美術解説】現代美術とはなにか?「ポストモダン・アート」

ポストモダン・アート / Postmodernart

近代美術の後の芸術・現代美術・現代アート


マリーナ・アヴラモヴィッチ
マリーナ・アヴラモヴィッチ

概要


ポストモダン・アート(近代美術の後の芸術)とは、近代美術の側面を否定、または近代美術の余波から出現・発展した芸術運動である。「現代美術(コンテンポラリー・アート)」とも呼ばれこともある。 

 

インターメディア、コンセプチュアル・アート、インスタレーション、マルチメディア、なかでもビデオ・アートが代表的なポストモダン・アートとみなされている。

 

アートメディアや美術批評家たちが「現代美術」「現代アート」「コンテンポラリー・アート」という言葉を使う場合、その多くはポストモダン・アートのことを指しており、意識的に古典美術や近代美術前衛芸術と区別して使っている。

 

つまり、ポストモダン・アートという言葉はおもに美術の専門家たちが使う言葉である。

 

近代美術までは視覚的な形態によって良し悪しが判断されていたが、1960年代後半以降になると、哲学的な考察や社会批評要素が含まれる芸術が中心となりはじめた。それをコンセプチュアル・アートと呼ばれるが、美術批評家のアーサー・ダントーの定義ではポストモダン・アートは多かれ少なかれ、まずこのコンセプチュアルが基盤となっている。

 

ポストモダン・アートはコンセプチュアル以外にも近代美術とは異なる特徴がある。

・ブリコラージュやレディメイドなど絵具や彫刻ではなく既成物を利用した作品

・極端に簡素化されたミニマリズム

・パフォーマンス・アート

・過去の美術スタイルや主題を現代の文脈に置き換える表現

なかでもよく見られるのはファイン&ハイアートとロウ&ポップカルチャーの境界線を曖昧にするといった表現などである。村上隆の「スーパーフラット」はこの系統に属する。

 

なお、最近では近代美術とその後に来るポストモダンアートの両方を包括した美術全体を指す言葉として「近現代美術(modern and contemporary art)」と呼ぶときがあり、アカデミズムよりもオークションや展示会など市場でよく使われる。

村上隆《五百羅漢図 白虎》部分,2012年
村上隆《五百羅漢図 白虎》部分,2012年

重要ポイント

  • 「現代美術」と呼ばれているものと同じようなもの
  • 近代美術から生まれ近代美術や前衛を否定する運動
  • コンセプチュアルな要素を含む
  • 新旧、ハイとロウなど相反するものを並列する要素を含む

用語の起源やポストモダン議論の展開


ポストモダン・アートという言葉はおもに美術の専門家たちが使う言葉である。一般的には1950年代以降に制作されたアートを指す言葉としてポストモダン・アートの言葉の代わりに「現代美術(contemporary art)」という言葉を使うのが主流となっている。

 

ただし、現代美術と呼ばれるすべての美術がポストモダン・アートではなく、より広義的な意味では、近代美術(moderart)や後期近代美術(late-modernart)の伝統を継承して活動しているアーティストと、それ以外の理由でポストモダンを拒否するアーティストも現代美術として含まれる

 

何が「後期近代(late-modern)」で何が「近代美術の後(post-modern)」なのかというコンセンサスはない。以下はいくつかのポストモダン・アート論である。

 ・批評家の中には、現在のポストモダン・アートの多くは最新の前衛芸術であるが、それでも近代美術として分類されるべきだと主張する者もいる。

 

・アーサー・ダントーは、「現代」という言葉はより広義的な意味であり、ポストモダンとは現代美術という枠における「サブセクター(下位部門)」を表していると主張している。

 

・ポストモダンは現代美術の特定の傾向を表すだけでなく、近代美術の一段階を表すためにも使われている。クレメント・グリーンバーグのようなモダニズムの擁護者や、モダニズムの「最後のあえぎ」と呼ぶフェリックス・ガタリのようなモダニズムの急進的な反対者もこの立場を採用している。

 

・新保守派のヒルトン・クレーマーは、ポストモダニズムを「モダニズムの綱の終わりにあるモダニズムの創造」と表現している。

 

・フレデリック・ジェイムソンの分析では、ジャン=フランソワ・レオタールは、ハイ・モダニズムの時代とは根本的に異なるポストモダニズムの段階があるとは考えていない。その代わりに、ポストモダニズムのこのスタイル、あるいはそのハイ・モダニズムのスタイルへの不満は、ハイ・モダニズムの実験の一部であり、新しいモダニズムを生み出しているという。

 

多くの批評家は、ポストモダン・アートは近代美術から生まれたものだと考えている。近代からポストモダンへの移行の時期としては、ヨーロッパでは1914年、アメリカでは1962年、1968年などが挙げられている

 

ジェームズ・エルキンスは、モダニズムからポストモダニズムへの移行の正確な時期についての議論についてこのようなコメントしている。ポストモダンが今世紀後半に始まったのかどうかという議論は、マニエリスムの正確な時期が盛期ルネサンスの直後に始まったかどうか議論していた1960年代と似ているという。そしてエルキンスは、このような議論はアートの動きや時代に関しては常に行われているという指摘をしつつも、論議すること自体は悪いことでないと話している。

 

なお、美術界ことなるのが哲学界において「ポストモダニズム」とは『ポスト・モダンの条件』を書いたジャン・フランソワ・リオタールの言葉を借りれば、「啓蒙という「大きな物語」への信頼をモダニズムと捉え、ポストモダニズムをその不信」と説明している。つまり、体系的な知識や進歩主義に対する批判という形で、ドゥルーズ/ガタリ、ジャック・デリダらポスト構造主義の思想家たちが問題意識を共有する。

 

●ジャン・ボードリヤールの影響

ジャン・ボードリヤールの唱える「シミュラークル」にこそ、ポストモダン・アートの本質はある。それはモダニズムが重要視する、真正なるオリジナルという概念を転覆する。というのも、オリジナルの対立項がコピーとはいえなくなるからだ。

 

ジャン・ボードリヤールは、ポストモダンに影響された芸術家に大きな影響を与え、新しい創造性の形の可能性を強調した。例えば、アーティストのピーター・ハレーは、彼のデイグローの色彩を「本物の色の超現実化」と表現し、ボードリヤールに影響を受けたと認めている。

 

ボードリヤール自身は1984年以降、現代美術、特にポストモダン美術は第二次世界大戦後のモダニズム美術に劣るとの見解を貫き、一方ジャン・フランソワ・レオタールは現代絵画を賞賛し、近代美術からの進化を指摘している。

 

●フェミニスト理論との結びつき

20世紀の主要な女性芸術家は、彼らの作品の多くの理論的な芸術表現が、フランスの精神分析やフェミニスト理論から生まれたことから、ポストモダン・アートと結びついているという。

 

●まだモダニズム自体が終わっていない

ポストモダンという言葉の使用と美術への適用に批判的な人たちもいる。例えば、カーク・バーネドーは、ポストモダニズムのようなものは存在せずモダニズムの可能性はまだ尽きていないと述べている

 

●ポストモダニズムの終焉

そして、ポストモダニズムという言葉が批判的な響きを失った1980年代末にポストモダニズムの時代が終わりアートの実践がグローバリゼーションと新しいメディアの影響に対処し始めたという。

ポストモダン・アートの定義


1:モダニズムから生まれモダニズムを否定する運動


ポストモダニズムとは、モダニズムの傾向から発生するが、モダニズムの傾向に反発したり拒絶したりする運動を指す。

 

モダニズムの特定の傾向に関する一般的な例証は、形式的な純粋性、媒体の特異性、芸術のための芸術、真正性、普遍性、独創性、革命的または反動的な傾向、すなわち「前衛」である。

 

しかし、パラドックスがおそらくポストモダニズムに対応した最も重要なモダニズムの思想である。パラドックスはマネが導入したモダニズムの中心的存在だった。

 

マネのさまざまな表象芸術への冒涜は、現実と表象、デザインと表象、抽象と現実などの相互の排他性を浮き彫りにした。このようなパラドックスの導入は、マネからコンセプチュアル・アーティストたちに大きな刺激を与えた。

 

前衛の地位が物議を醸している。多くの機関は、先見性があり、前向きで、最先端で、進歩的であることが、現在のアートの使命に不可欠であると主張している。それゆえにポストモダンの芸術は「現代の芸術」の価値と矛盾している。ポストモダニズムは、それ自体が芸術の進歩や進歩という概念を否定し、「前衛の神話」を覆すことを目指しているためである。

 

ロザリンド・クラウスは、「前衛主義は終わり、新しい芸術の時代とはポストリベラル、ポスト・プログレスである」という見解を打ち出した重要な論者の一人である。

 

グリゼルダ・ポロックは、ポストモダン美術を再定義すると同時に現代美術を見直す画期的な著作を次々と発表し、前衛と現代美術を研究し、対峙した。

2:ハイカルチャーとローカルチャーの境界線の消失


ポストモダン・アートの特徴の一つは、工業的な素材やポップカルチャーのイメージを用いて、ハイカルチャーとローカルチャーを混同していることである。

 

ローカルチャーの使用は、ニューヨーク近代美術館で開催されたカーク・ヴァーネドーとアダム・ゴプニックの1990-91年の展覧会「High and Low: Popular Culture and Modern Art」でも記録されているように、モダニズムの実験の一部でもあった。

 

ポストモダン・アートは、ファインアートやハイアートと一般的に見られるものと、ローアートやキッチュアートとの区別を曖昧にすることでも知られている。

 

このようなハイアートとローアートの「曖昧さ」や「融合」という概念は、近代美術の時代にも実験的に行われていたが、ポストモダンの時代になってから本格的に支持されるようになった。

3:商業主義、キッチュ、文脈の拒絶


ポストモダニズムは、その芸術的文脈の中に商業主義、キッチュ、一般的なキャンプ美学の要素を導入した。

 

さらに、ポストモダニズムは、ゴシック、ルネサンス、バロックなどの過去の時代のスタイルを取り、対応する芸術運動の中でのオリジナルの文脈を無視して織り交ぜた。古いものと新しいものの並置、特に過去の時代のスタイルを現代美術に取り入れ、それを元の文脈から外れた形で再構成することは、ポストモダン・アートの共通の特徴である。

 

ひとつのコンパクトな定義として、ポストモダニズムはモダニズムの芸術的方向性という壮大な物語性を拒絶し、芸術の高低の境界を根絶し、衝突、コラージュ、断片化によってジャンルの慣習を破壊する。

ポストモダン・アートの先駆体「歴史的前衛」


ポストモダニズムに影響力を持ち、潜在的にポストモダニズムの前触れとみなされている急進的な運動やトレンドは、第一次世界大戦の前後、特にその余波の中で出現した

 

芸術やコラージュのような技法に工業製品の使用が導入されたことで、キュビスムダダイズムシュルレアリスムなどの前衛的な運動は、芸術の本質や価値に疑問を呈した。映画や複製芸術の増加のような新しい芸術形態は、作品制作の手段としてこれらの動きに影響を与えた。

 

モダニズムの定義の発火点となったクレメント・グリーンバーグのエッセイ『前衛とキッチュ』は、1939年に『パルチザン・レビュー』に掲載され、大衆文化に直面した前衛を擁護している。

 

その後、ピーター・ビュルガーは歴史的前衛とモダニズムを区別し、ビュルガーに続いてクラウス、ホイッセン、ダグラス・クリンプなどの批評家は、歴史的前衛をポストモダニズムの前駆体と見なした。「歴史的前衛」とは1900年ごろ1950年あたりの前衛芸術のことを指している。

歴史的前衛の中でもダダイズムが重要だ


ダダイズムは、シュルレアリスム、未来派、抽象表現主義とともに、確立された芸術スタイルや形式に挑戦するモダニズムの一部と認識されている。

 

時系列的に見ると、ダダはモダニズムの中にしっかりと位置しているが、多くの批評家は、ダダはポストモダニズムを先取りしていると見ている。また、イハブ・ハッサンやスティーブン・コナーのように、モダニズムとポストモダニズムの間の転換点である可能性があると考える人もいる。

 

例えば、マケヴィリーによれば、ポストモダニズムは、もはや進歩の神話を信じていないことに気づくことから始まり、デュシャンは1914年にモダニズムの実践からポストモダニズムの実践へと変化したときにこのことを感じたという。

 

デュシャンは小便器を彫刻として展示した。彼のポイントは、小便器を芸術作品だと言いば、人々はあたかもそれが芸術作品であるように見るだろうということだった。彼は自分の作品を「レディメイド」と呼んでいた。《泉》は、1917年に美術界に衝撃を与えたR.Muttというペンネームでサインされた小便器であった。そのため、デュシャンはコンセプチュアル・アートの先駆者と見なされる。

 

また、これまでの審美的な快楽、超越的な野心、そして形式的な敏捷性を示す力技を放棄し、審美的な無関心、普通の世界の認識、そして発見されたオブジェクトや既製品を支持こそがポストモダニズムであるという。

マルセル・デュシャン《泉》1917年
マルセル・デュシャン《泉》1917年

ポスト・モダンアートの前身/過渡的ポストモダン・アートとは


一般的に、ポップアートミニマリズムは近代美術の運動として始まったが、1970年代初頭のパラダイムシフトとフォーマリズムと反フォーマリズムの間の哲学的な分裂によって、これらのムーブメントはポストモダンの前身、あるいは過渡的なポストモダン・アートとして見られるようになった。

 

ポストモダン・アートに影響を与えたとされる他の近代的な運動としては、コンセプチュアル・アートや、アッサンブラージュ、モンタージュ、ブリコラージュ、アプロプリエーションなどの技法の使用が挙げられる。

ジャクソン・ポロックと抽象表現主義


1940年代後半から1950年代初頭にかけて、ジャクソン・ポロックの絵画に対する急進的なアプローチは、彼に続くすべての現代美術にとって革命をもたらした。ポロックは、芸術作品を作るための過程が、芸術作品そのものと同じくらい重要であることに気づいた。

 

パブロ・ピカソがキュビスムや構築された彫刻を介して世紀の変わり目に絵画と彫刻の革新的な再発明を行ったように、ポロックは世紀の半ばにアートメイキングを再定義した

 

ポロックのイーゼルや慣習的な方法からの離脱、それは彼の同時代のアーティストとそれに続くアーティストたちを解放した。

 

床の上での作業、未延伸状態の生のキャンバス、あらゆる方向からの作業、絵具材料、工業材料、イメージ、非イメージを使用して、絵具の塊を直線的投げつける、ドリッピング、ドローイング、染色、ブラッシングなど以前の境界線を超えてアートメイキングを破壊した。

 

抽象表現主義は、アーティストが新たな芸術作品を生み出すために利用できる定義や可能性を拡大・発展させた。ある意味では、ジャクソン・ポロック、ウィレム・デ・クーニング、フランツ・クライン、マーク・ロスコ、フィリップ・ガストン、ハンス・ホフマン、クリフォード・スティル、バーネット・ニューマン、アド・ラインハルトなどにおける革新性は、次の作品の多様性と範囲への洪水の門戸を開いたのである。

抽象表現主義以後


1950年代から60年代にかけての抽象絵画では、抽象表現主義の主観主義への反発から、ハードエッジ・ペインティングやフランク・ステラの作品に代表される幾何学的な抽象表現など、いくつかの新しい芸術方向性がアーティストのスタジオや急進的なアヴァンギャルドの世界に現れ始めた。

 

クレメント・グリーンバーグは、1964年にアメリカ国内の重要な美術館を巡回する新作絵画展のキュレーションを担当し、ポスト絵画的抽象の代弁者となった。カラーフィールド・ペインティング、ハードエッジ・ペインティング、リリカル・アブストラクションは、急進的な新しい方向性として浮上した。

 

1960年代後半には、ポストミニマリズム、プロセス・アート、アルテ・ポヴェーラもまた、リリカル・アブストラクションやポストミニマリズム運動、そして初期のコンセプチュアル・アートを経て、絵画や彫刻を包括する革命的な概念や運動として台頭してきた。

 

ポロックに触発されたプロセスを重視したアートは、スタイル、内容、素材、配置、時間感覚、プラスチックと実空間の多様な百科事典の実験と活用を可能にした。

 

ナンシー・グレイブス、ロナルド・デイビス、ハワード・ホジキン、ラリー・プーンズ、ジャニス・クネリス、ブリス・マーデン、ブルース・ナウマン、リチャード・タトル、アラン・サレット、ウォルター・ダービー・バナード、リンダ・ベングリス、ダン・クリステンセン、ラリー・ゾックス、ロニー・ランドフィールド、エヴァ・ヘッセ、キース・ソニエ、リチャード・セラ、サム・ギリアム、マリオ・メルツ、ピーター・レジナート、リー・ロザノなどは、1960年代後半の芸術の全盛期を産み出した後期モダニズムの時代に台頭してきた若手アーティストの一人である。

パフォーマンスアートとハプニング


1950年代後半から60年代にかけて、幅広い枠組みを持つアーティストたちが現代美術の境界線を拡張させた。

 

フランスのイヴ・クライン、ニューヨークのキャロリー・シュリーマン草間彌生、シャーロット・ムーマン、オノ・ヨーコは、パフォーマンスをベースにした芸術作品の先駆者だった。

 

ジュリアン・ベックとのリビング・シアターやジュディス・マリナのようなグループは、彫刻家や画家と協力して環境芸術を作り出した。これらのパフォーマンスは、多くの場合、彫刻、ダンス、音楽や音を組み合わせた新しい芸術形態の創造を目的としており、観客の参加をさせて行われることが多かった

 

様々な前衛芸術家たちが「ハプニング」を行った。ハプニングとは、アーティストとその友人や親戚が様々な指定された場所に集まって行う、神秘的で、しばしば自然発生的な、台本のない集会のことであった。

 

不条理、身体運動、コスチューム、自然発生的な裸体、そして様々なランダムで一見切り離された行為がしばしば取り入れられていた。

 

アラン・カプロウ、ジョセフ・ボイス、ナム・ジューン・パイク、ウルフ・ヴォステル、クレス・オルデンバーグ、ジム・ダイン、レッド・グルームズ、ロバート・ホイットマンなどがハプニングの著名な芸術家だった。

アッサンブラージュ


抽象表現主義に関連したもので、絵画や彫刻といったこれまでの伝統から離れて、既成のオブジェを組み合わせて制作した作品としてアッサンブラージュがある。

 

古くはジョルジュ・ブラックの「パピエコレ」やシュルレアリストたちのコラージュ作品が挙げられるが、ポストモダン・アートでは、1950年代のロバート・ラウシェンバーグの「コンバイン」が前身であり、ポップアートやインスタレーション・アートで本格化した。その後、ぬいぐるみや鳥、商業写真などの大型オブジェの集合体を利用した作品は、この芸術の流れを象徴している。

 

レオ・スタインバーグは、1969年にポストモダニズムという言葉を用いて、前近代絵画やモダニズム絵画の絵画分野とは相容れない文化的なイメージや人工物の数々を含んだラウシェンバーグの「平板な」絵画平面を解説している。

 

スティーヴン・ベストとダグラス・ケルナーは、ラウシェンバーグとジャスパー・ジョンズを、マルセル・デュシャンの影響を受けたモダニズムとポストモダニズムの間の過渡期の一部であると同定している。

 

これらのアーティストは、ハイ・モダニズムの抽象化と絵画的なジェスチャーを維持しながら、普通のオブジェクトのイメージ、あるいはオブジェクトそのものを作品に使用した。

ポップ・アート


ローレンス・アロウェイは、第二次世界大戦後の消費主義を謳歌する絵画を「ポップ・アート」と呼んだ。

 

この運動は、抽象表現主義を否定し、抽象的な表現や、解釈論的、心理的な内面に焦点を当てたものではなく、大量生産時代の物質的な消費文化、広告、イコノグラフィーなどを描いた芸術が好まれた。

 

初期のデヴィッド・ホックニーの作品や、リチャード・ハミルトン、ジョン・マクヘイル、エドゥアルド・パオロッツィの作品は、この運動の中で重要な例と考えられていた。後期では、アンディ・ウォーホルロイ・リキテンスタインのキャリアの大部分が含まれ、彼らは商業的な複製に使用される技術であるベンデイ・ドットを使用している。

 

ユーモアのセンスを持った反骨のダダイストことデュシャンの過激な作品と、クレス・オルデンバーグ、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンスタインなどのポップ・アーティストとの間には、明確なつながりがある。

 

ポップアートがポストモダンである一つの理由として、アンドレアス・ホイセンがハイアートとポピュラーカルチャーの間の「大いなる溝」と呼んでいるものを打ち破ったことであると述べている。

 

トーマス・マケヴィリーは、デイブ・ヒッキーに賛同し、米国の視覚芸術におけるポストモダニズムは1962年のポップアートの最初の展覧会から始まったと述べている。

フルクサス


フルクサスは1962年、リトアニア生まれのアメリカ人アーティスト、ジョージ・マキュナス(1931-78)によって結成された。

 

フルクサスの始まりは、1957年から1959年にかけてニューヨークのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチで行われたジョン・ケージの実験的作曲のクラスにある。彼の生徒の多くは、他のメディアで活動するアーティストであり、音楽のバックグラウンドはほとんど、あるいは全くなかった。ケージの教え子には、フラクサスの創設メンバーであるジャクソン・マック・ロー、アル・ハンセン、ジョージ・ブレヒト、ディック・ヒギンズなどがいた。

 

1962年、ドイツでもフルクサスがスタート。『Fluxus-Internationale Festspiele Neuester Musik』のイベントに参加したアーティスト、ジョージ・マキュナス、ジョセフ・ボイス、ヴォルフ・ヴォステル、ナム・ジューン・パイクなどがドイツ・フルクサスのメンバーとして知られている。

 

フルクサスは「Do it yourself」という美学を奨励し、複雑さよりもシンプルさを大切にした。ダダのように、フルクサスには反商業主義や反芸術的な感性が強く流れており、従来の市場主導のアート界を軽視し、アーティスト中心の創作活動を行った。

 

フルクサスのアーティストたちは、手元にあるあらゆる素材を使って作品を制作することを好み、自分たちの作品を制作するか、仲間と協力して制作を進めた。

 

フルクサスは、ラウシェンバーグ、ジョーンズ、ウォーホル、シチュエーション・インターナショナルと並んで、ポストモダニズムの第一期の一部と考えられている。

 

アンドレア・ヒューゼンは、フルクサスをポスト・モダニズムに位置づけようとする試みを批判し、「ポストモダニズムのマスターコードか、究極的には表に出てこないアートムーブメントか、つまりポストモダニズムの崇高なものだ」と話している。

 

代わりにフルクサスを前衛的な伝統の中でのネオ・ダダの主要な現象として捉えている。フルクサスは、芸術戦略の発展に大きな前進をもたらしたわけではなかったが、「1950年代の管理された文化に対する反発を表明した」とし、「冷戦のイデオロギー的支柱として、穏健で家庭的なモダニズムが機能していた」と評価されている。

ミニマリズム


1960年代初頭には、カシミール・マレーヴィッチ、バウハウス、ピエト・モンドリアンなど幾何学的な抽象化をルーツとした芸術の抽象化運動「ミニマリズム」が台頭した。ミニマリズムでは、関係性のある主観的な絵画、抽象表現主義的な表面の複雑さ、そしてアクション・ペインティングの領域に存在する感情的な時代性や極論を否定した。

 

ミニマリズムは、極端なシンプルさが芸術が必要とする崇高な表現を捉えることができると主張している。フランク・ステラのような画家と関連したミニマリズムは、他の分野とは対照的に、絵画におけるミニマリズムはモダニズム運動であり、文脈によってはポストモダン運動の前身と解釈されることもある。

 

ハル・フォスターは、エッセイ『ミニマリズムの核心』の中で、ドナルド・ジャッドとロバート・モリスがミニマリズムの定義において、グリーンバーゲン・モダニズムを認め、それを超えているかどうかを検証している。

 

 彼は、ミニマリズムはモダニズムの「行き止まり」ではなく、「今日まで精巧に続けられているポストモダニズムの実践へのパラダイムシフト」であると主張している。

ポスト・ミニマリズム


ロバート・ピンカス=ウィッテンは、1977年に「ポスト・ミニマリズム」という言葉を造語し、ミニマリズムが否定した内容や文脈を持つミニマリズムから派生したアートを表現した。彼がこの言葉を使ったのは1966年から1976年の間で、エヴァ・ヘッセ、キース・ソニエ、リチャード・セラの作品や、かつてのミニマリストであるロバート・スミッソン、ロバート・モリス、ソル・ルウィット、バリー・ル・ヴァなどの新作に適用された。

 

プロセス・アート、アンチフォーム・アートとは、この作品を説明する他の用語であり、それが占める空間と、それが作られる過程によって決定されるものである。

おもなポストモダン・アート運動


コンセプチュアル・アート


コンセプチュアル・アートは、アート作品の制作の脱構築に明示的に関わっているため、ポストモダンと呼ばれることがある。コンセプチュアル・アートは、それを見る多くの人々が持つ概念と対立したり、不快にさせたり、攻撃したりするようにデザインされていることが多く、特に論争の対象となりやすい。

 

コンセプチュアル・アートの前身は、デュシャンの作品やジョン・ケージの『4分33秒」や、ラウシェンバーグの『消去されたデ・クーニングのドローイング』などがあげられる。

 

コンセプチュアルな作品の多くは、アートとは、作品自体の本質的な要素からではなく、鑑賞者が対象や行為をアートとして見ることで生まれるものであるという立場をとっている。したがって、デュシャンの《泉》はアートとして展示されていたためスカルプチャーとみなされた。

インスタレーション・アート


これまで一貫してポストモダンと言われてきた美術の重要な動きの一つに、インスタレーションやコンセプチュアルな人工物の制作がある。

 

インスタレーション・アートは、制作されたアートと発見されたアートの膨大なコラージュで構成された巨大な大作をのため、それを展示する現代美術の美術館の空間を設計する上で重要な役割を果たしてきた。これらのインスタレーションやコラージュは、多くの場合、可動式だったり照明を用るため電気で作動する。

 

20年代におけるクルト・シュヴィッタースにおけるメルツ建築がインスタレーションの先駆けであり、さらにイヴ・クラインは50年代末に、何もない展示空間に観客を彫刻として見立て、彫刻作品の展示をめぐる空間との関係性を浮き彫りにした。

ロウブロウ・アート


ロウブロウ・アートは、アンダーグラウンドコミックスの世界、パンクミュージック、ホットロッドストリートカルチャー、および他のカリフォルニア州のサブカルチャーに起源を持つ広範な大衆芸術運動である。

 

現在はポップシュルレアリスムという名前で知られている。ロウブロウ・アートは、「高 」と 「低」のアートの区別がもはや認識されていないという点で、ポストモダニズムの中心的なテーマを強調している。

デジタル・アート


デジタルアートとは、デジタル技術を創作や発表のプロセスに不可欠な要素として利用した芸術作品や実践の総称。デジタルテクノロジーの影響により、絵画、ドローイング、彫刻、音楽/サウンドアートなどの活動が変容し、ネットアート、デジタルインスタレーションアート、バーチャルリアリティなどの新しい形態が認められるようになった。

 

この分野を代表する美術理論家や歴史家には、クリスティアン・ポール、フランク・ポッパー、クリスティン・ブシ=グルックスマン、ドミニク・ムーロン、ロバート・C・モーガン、ロイ・アスコット、キャサリン・ペレ、マーゴット・ラブジョイ、エドモンド・カウチョ、フレッド・フォレスト、エドワード・A・シャンケンなどがいる。

インターメディア&マルチメディア・アート


ポストモダンという言葉と関連しているアートのもう一つの傾向は、いくつかの異なるメディアを一緒に使用することである。「インターメディア」という言葉は、ディック・ヒギンズの造語で、フルクサス、コンクリート・ポエトリー、ファウンド・オブジェクト、パフォーマンス・アート、コンピュータ・アートなどの文脈上の新しい表現を伝えることを意味している。

 

ヒギンズは『Something Else Press』の発行人であり、コンクリートの詩人であり、アーティストのアリソン・ノウルズと結婚し、マルセル・デュシャンの崇拝者だった。イハブ・ハッサンは、ポストモダン・アートの特徴として、「インターメディア、形態の融合、領域の混乱」を挙げている。

 

「マルチメディア・アート」の最も一般的な形態の一つは、ビデオテープとCRTモニターを使用したもので、ビデオ・アートと呼ばれている。

 

複数の芸術を一つの芸術に統合するという理論はかなり古く、定期的に復活してきたが、ポストモダンの表現は、しばしばパフォーマンス・アートと組み合わせて行われる。また、劇的なサブテキストは取り除かれ、残されたのは問題のアーティストの具体的な声明や彼らの行動の概念的な声明である。

 

ヒギンのインターメディアの概念は、没入型バーチャルリアリティ、デジタルアート、コンピュータアートなどのマルチメディア・デジタルの実践の成長につながっている。

テレマティック・アート


テレマティック・アートとは、コンピュータを媒介とした電気通信ネットワークを媒体としたアート・プロジェクトのことである。テレマティック・アートは、遠隔地での美的な出会いのためのインタラクティブで行動的な文脈を作り出すことで、能動的な鑑賞者と受動的な芸術対象との間の伝統的な関係に挑戦している。

 

ロイ・アスコットは、テレマティック・アートの形態を、鑑賞者を作品制作の能動的な参加者へと変容させるものと捉えています。アスコットは、1978年に初めてオンラインで作品を制作して以来、テレマティック・アートの理論と実践の最前線に立っている。

新コンセプチュアル・アート


1980年のエッセイ『The Allegorical Impulse: Toward a Theory of Postmodernism』の中で、クレイグ・オーエンスは、ポストモダニズムの特徴として、寓意的な衝動の再出現を挙げている。この衝動は、シェリー・レヴィーンやロバート・ロンゴのようなアーティストのアプロケーション・アートに見ることができます。つまり寓意的な衝動とはアプロケーション・アートである。

 

アプロプリエーション・アートは、モダニズム的な芸術的天才性やオリジナリティの概念を否定し、現代美術よりもアンビバレントで矛盾したものであり、「批判的であると同時に加担的でもある」イデオロギーの設置と破壊を同時に行っている。

新表現主義


ゲオルク・バーゼリッツやジュリアン・シュナーベルのような新表現主義の芸術家たちの作品に見られる、1970年代後半から1980年代前半にかけての彫刻や絵画の伝統的な芸術形態への回帰は、ポストモダンの傾向として記述されており、ポストモダン時代に出現した最初の首尾一貫した運動の一つである。

 

しかし、その商業美術市場との強い結びつきは、ポストモダニズム運動としての地位やポストモダニズムの定義そのものに疑問を投げかけている。

 

ハル・フォスターは、新表現主義はアメリカのレーガン・ブッシュ時代の保守的な文化政治に加担していたと述べている。

 

フェリックス・ガタリは、「ポストモダニズムがモダニズムの最後のあえぎに過ぎないことを示す」ための、あまりにも安易な方法として、ドイツにおける『新表現主義』と呼ばれる大規模な宣伝活動を無視している。

 

また、新表現主義への批判は、コンセプチュアル・アーティストやグリゼルダ・ポロックのようなフェミニストの理論家を含む女性アーティストの活躍が現代美術を体系的に再評価していた時期に起き、アメリカにおける現代美術界の信頼性を支えていたのはマネーと広報であったことを明らかにしている。

 

ブライアン・マスミは、ドゥルーズとガタリがポストモダン美術における「美」の新たな定義の地平を開いたと主張している。

 ・スーパー・フラット/村上隆

・パフォーマンス・アート/マリーナ・アブラモヴィッチ

 

 


■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Postmodern_art、2020年5月22日アクセス