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【美術解説】ジャン・メッツァンジェ「セクションドール」

ジャン・メッツァンジェ / Jean Metzinger

キュビスムを理論化しセクションドールを引率


ジャン・メッツァンジェ「カフェのダンサー」(1912年)
ジャン・メッツァンジェ「カフェのダンサー」(1912年)

概要


生年月日 1883年6月23日
死没月日  1956年11月3日
国籍 フランス
表現媒体 絵画、素描、詩、文章、
表現スタイル キュビスム、セクションドール

ジャン・ドミニク・アントニー・メッツァンジェ(1883年7月24日-1956年11月3日)はフランスの画家、理論家、作家、批評家、詩人。

 

アルベール・グレーズとともにキュビスム理論体系の創設と発展に貢献。1900年から1904年の初期作品は、ジョージ・スーラやアンリ・エドモンド・グロスの新印象派からの影響が大きかったが、1904年から1907年にかけてメッツァンジェは分割主義やフォービズム、ポール・セザンヌの要素を取り入れ、初期キュビスムを先導した。

 

1908年からメッツァンジェは面で形態を表現する実験をはじめ、そのスタイルはすぐにキュビスムとして知られるようになった。キュビスムにおけるメッツァンジェは、影響力のある芸術家であり、同時にキュビスムの主要な理論家でもあった。1910年に出版されたメッツァンジェの著書『Note sur la Peinture』で初めて、異なる複数の視点から対象物の周囲を動くように描いていく考えを発表。

 

メッツァンジェとアルバート・グレーズは、1912年にキュビスムに関する最初の主要な論文「キュビスム論」を発表。その後、メッツァンジェはセクションドール(黄金比率)の共同設立者となる。時代的にはピカソ、ブラックより少し後の第二世代のキュビスムグループとなる。

 

フェルナン・レジェ、デュシャン兄弟、グレーズ、グリスなどが集まり、彼らを機にキュビスムという言葉が一般化し、世間一般に知られるようになった。「キュビスム論」にはピカソ、ブラックへの言及は一切なかったことから、彼らと一線を画そうとの姿勢がうかがえる。

 

セクションドールが標榜した黄金分割とは古代からある比例理論で、線分を2つに分けたとき、最も美しいとされる比率をさし、それはおよそ8対13であるとされる。またピカソ、ブラックのキュビスムよりも色彩が鮮やかでカラフルである。

ジャン・メッツァンジェ「ティー・タイム(1911年)
ジャン・メッツァンジェ「ティー・タイム(1911年)
ジャン・メッツァンジェ「馬と女性」(1911-1912年)
ジャン・メッツァンジェ「馬と女性」(1911-1912年)