【美術解説】デ・ステイル「オランダ前衛美術」

デ・ステイル / De Stijl

抽象性と普遍性を追求したオランダ前衛美術


ピエト・モンドリアン「黄・赤・青と黒のコンポジション」(1921年)
ピエト・モンドリアン「黄・赤・青と黒のコンポジション」(1921年)

概要


モンドリアンが主導した前衛運動


デ・ステイルは1917年にアムステルダムで創設されたオランダの前衛芸術運動。新造形主義と呼ばれることもある。

 

1917年から1931年にかけてオランダで制作された前衛芸術作品のことを指すときに使用される。メンバーは画家と建築家が参加。

 

デ・ステイルの芸術家たちは、フォルムと色の要素をできるだけ減らして純粋な抽象芸術性と、個人的な表現に閉塞した芸術ではなく幅広く受け入れられる客観的で普遍的な作品を追求した。色は黒、白、原色のみを使い、また水平と垂直線だけの視覚構成で単純化をおこなった。

 

デ・ステイルの創立者の1人であるテオ・ファン・ドースブルフは、デ・ステイルを理論化し、同名の機関誌『デ・ステイル』などに発表して、グループの理論を広める大きな役割を果たした。

 

ピート・モンドリアンがデ・ステイルの理論を忠実に作品化する主要なメンバーとなった。ほかに、フィルモス・フサール、バート・ファン・デル・レック、ヘリット・リートフェルト、ロバート・ファント・ホッフ、J.J.P.アウトなどがデ・ステイルのおもなメンバーである。

 

しかし、ドースブルフは1924年頃から画面の中に対角線をいれ「エレメンタリズム」を始める。モンドリアンはこれに反して1925年にデ・ステイルを脱退した。

ヘリット・リートフェルト「赤と青の椅子」(1917年)
ヘリット・リートフェルト「赤と青の椅子」(1917年)
テオ・ファン・ドースブルフ「コンポジション7」(1917年)
テオ・ファン・ドースブルフ「コンポジション7」(1917年)
雑誌『デ・ステイル』
雑誌『デ・ステイル』

 

■参考文献

De Stijl - Wikipedia