ポール・セリュジエ / Paul Sérusier
純粋抽象絵画の先駆的画家
概要
生年月日 | 1864年11月9日 |
死没月日 | 1927年10月7日 |
国籍 | フランス |
表現形式 | 絵画 |
ムーブメント | ナビ派 |
関連サイト |
・WikiArt(作品) ・The Art Story(概要) |
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ポール・セリュジエ(1864年11月9日-1927年10月7日)はフランスの画家。抽象絵画の先駆者であり、ナビ派の創設者。ゴーギャンの影響を受けた綜合主義、クロワゾニムでもある。
セリュジュはパリで生まれた。ジュリアン・アカデミーに入学して1880年代なかばまで絵を学ぶ。1888年の夏にポン=タヴァンへ旅行し、ポール・ゴーギャンを中心とする小さな芸術家集団 総合主義に参加する。
ポン=タヴァンの芸術家サークルにいる間に彼が制作した《タリスマン(護符)》が代表作として知られている。これはゴーギャンの監督下で制作されたもので、純粋抽象絵画の先駆的作品であり、クロワゾニムの極端な例の作品でもある。
その後、後期印象派の画家として、ナビ派と呼ばれる創設メンバーとなる。ピエール・ボナール、モーリス・ドニ、エドゥアール・ヴュイヤールらとともにナビ派の代表的な作家の1人として知られるようになった。
セリュジュはのちにアカデミー・ランソンで教師となり、1921年に『ABC de la peinture』という本を出版している。1927年10月7日、モルレーで死去。