ブログカテゴリ:ドイツ表現主義



芸術運動 · 13日 1月 2019
表現主義とは、一般的に20世紀初頭に起こったドイツの表現主義のことを指す。その特徴は、内面的、感情的、精神的なものなど「目に見えない」ものを主観的に強調する様式である。 表現主義は、写実主義に対抗するように見えるが、実際は目に見える外側の世界だけを描いた印象派と対立するように生まれている。 ドイツの表現主義は、北ドイツのドレスデン、後にベルリンに拠点を置いた「ブリュッケ(橋)」グループと、南ドイツのミュンヘンに拠点をおいた「青騎士」グループに二分されるが、広義的には後期印象派のゴッホやムンクの不安や恐怖を表現した絵画も含むこともある。 ドイツの表現主義は第一次世界大戦終了後も残り、ワイマール共和国、特にベルリンにおいて建築、文学、映画、ダンス、音楽など他のさまざまなジャンルに拡大・発展したのがフォービスムやほかの表現主義と大きく異なる。 なお表現主義は、キュビズムや抽象絵画まで含めた前衛芸術全般のすべてを指し示すこともある。

芸術運動 · 16日 3月 2018
「青騎士」はドイツ、ミュンヘンにあったミュンヘン新芸術家協会に反発して創設された芸術グループ。1912年にワシリー・カンディンスキーとフランツ・マルクが創刊した雑誌『青騎士』が名称の元である。 1909年にカンディンスキーが創設したミュンヘン新芸術家協会内で亀裂が生じ、カンディンスキーやマッケが脱退して形成される。発祥は、1911年にミュンヘンに集まったおもに表現主義の画家たちによる緩やかな芸術家の集まりである。 青騎士は、ワシリー・カンディンスキー、アレクセイ・フォン・ヤウレンスキー、マリアンネ・フォン・ヴェレフキンなどロシア移民の芸術家と、フランツ・マルク、アウググスト・マッケ、ガブリエレ・ミュンターなどドイツ人芸術家らが中心となって構成されていた。 青騎士は1911年から1924にかけて活動を行い、1905年に創設されたブリュッケとともにドイツ表現主義の基礎となった。

画家 · 15日 3月 2018
アウグスト・マッケ(1887年1月3日-1914年9月26日)はドイツの画家。ドイツの前衛運動青騎士の創設メンバーの1人。 アウグスト・マッケは、1887年1月3日、ドイツのヴェストファーレン、メデェで生まれた。父はオウガスト・フリードリヒ・ハーマン・マルケ(1845-1904年)は土建業者で日曜芸術家。母マリア・フローレンス,ニー・アドルフ(1848-1922)はウェストファリアのシュマレンベルクの農家出身だった。

芸術運動 · 21日 11月 2017
退廃芸術とはドイツのナチス政権が近代美術に対して名付けた造語である。 国内における非ドイツ的、ユダヤ系、共産主義的な芸術は禁止され、退廃芸術家に指定された人たちの活動は制限された。制限を受けたものは芸術家だけでなく、美術学校で教鞭をとるものや画商など近代美術関係者全体に及んだ。 1937年にはミュンヘンで、ナチス政権企画のもと『退廃芸術展』というタイトルで展覧会が開催。押収された近代美術が一斉に展示され、各作品を嘲るテキストラベルが付けられた。モダニズムへの批判を一般大衆に煽るよう設計された展示構成になっており、その後、ドイツの各都市やオーストリアで巡回展示が行われた。

画家 · 15日 11月 2017
ワシリー・ワシリーヴィッチ・カンディンスキー(1866年12月4日-1944年12月13日)はロシアの画家、美術理論家。美術史においてカンディンスキーは、ピエト・モンドリアンやカジミール・マレーヴィチとともに純粋抽象絵画の理論の創始者として知られている。代表的著作は抽象芸術を理論化した『芸術における精神的なもの』。 カンディンスキーはモスクワで生まれ、オデッサで子ども時代を過ごし、グレコフ・オデッサ美術大学に入学する。卒業後にモスクワ大学に入学し、法律と経済を学び、タルトゥ大学でローマ法に関する教授職を受け持っていたが、教職を捨て30歳を過ぎてから絵を本格的に学び始める。 1896年にカンディンスキーはミュンヘンに移る。アントン・アズべの私立学校で美術を学び、次いでミュンヘン美術院で学ぶ。1911年にはフランツ・マルクとともに「青騎士」を結成し、ドイツの前衛芸術運動で活躍し始める。

画家 · 21日 6月 2017
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー(1880年5月6日-1938年6月15日)はドイツの画家、版画家。ドイツの前衛運動「ブリュッケ」の設立者であり、アンリ・マティスとともに20世紀における表現主義のリーダーシップ的な存在の一人。...