ブログカテゴリ:近代美術



芸術運動 · 12日 2月 2020
「エコール・ド・パリ」は、第一次「エコール・ド・パリ」は、20世紀前半にパリで活動していた芸術界隈の総称だが、当時パリに滞在して活動していた非フランス人芸術家たちの総称として使われるケースが一般的である。1900年から1940年まではパリがアート・ワールドの中心地で、世界中から芸術家が集まっていたため「パリの学校(エコール・ド・パリ)」と呼ばれた。英語では「スクール・オブ・パリ」と呼ばれる。 エコール・ド・パリは、芸術運動を指す言葉ではなく、学校のような芸術機関でもない。日本語に訳せば“パリ派”が近いが、実際は“派”というほどのまとまりも、明確な主義主張もあるわけでもなく、シュルレアリスムや未来派のような「宣言」を出してもいない。 エコール・ド・パリとは、モンマルトルやモンパルナスに集まってきた芸術関係者たちの緩やかなネットワークで、カフェ、サロン、アトリエ、ギャラリーの集積地だった。

近現代美術 · 26日 1月 2020
近代美術(モダンアート)は、実験精神を重視し、過去の伝統的な美術様式から脱しようとした思想や様式を抱いた芸術作品。期間としてはおおよそ1860年代から1970年代までに制作された作品で、それ以降は現代美術と区別される。写実的な初期印象派から脱しようとした後期印象派や新印象派、またリアリズムから脱しようとした象徴主義が近代美術の源流とされている。 近代美術家たち(モダニスト)は、これまでの美術とは異なる新しい視点、新しい自然素材を用いた斬新なアイデア、新しい芸術機能のあり方を模索した。より具体的には、古代神話や聖書などを基盤とした物語的芸術から抽象的芸術への移行である。 近代美術の運動と観念は、初期から国際性があり、意図的で、方向性と計画性をもっていた。また、過激な宣言文、文書、筋書付きの宣言等を伴っていた。運動はそれぞれに特徴を出すべく、慎重に草案された。芸術家、あるいはしばしば評論家が、運動を船出させる舞台をしつらえ、観念を公式化した。つまり近代美術とは本質的には観念的であった。

画家 · 24日 1月 2020
ギュスターヴ・クールベ(1819年6月10日-1877年12月31日)はフランスの画家。19世紀フランス絵画において写実主義(レアリスム)運動を率いたことで知られる。 クールベは自分が実際に現実で見たもののみを描き、宗教的な伝統的な主題や前世代のロマン主義的幻想絵画を否定した。クールベの伝統的芸術からの自立は、のちの近代美術家、特に印象派やキュビズムへ大きな影響を与えた。 クールベは19世紀のフランス絵画の革新者として、また作品を通じて大胆な社会的声明を発する社会芸術家として、美術史において重用な位置を占めている。近代絵画の創始者の一人として見なされることもよくある。

近現代美術 · 14日 1月 2019
グスタフ・クリムト(1862年7月14日-1918年2月6日)はオーストリアを代表する画家、ウィーン分離派の創設者であり、代表的なメンバー。装飾芸術、絵画、壁画、ドローイング、オブジェなどさまざまなメディアで制作。中心となるモチーフは女性の身体で、率直なエロティシズム表現が特徴である。 滅亡前のオーストリア=ハンガリー二重帝国の首都ウィーンの頽廃的な雰囲気を、豊麗な女のイメージによって、もっとも見事に形象化したといわれる。ハプスブルグ家の支配するオーストリア・ハンガリー帝国の首都として独特な爛熟した文化を生み出してきた世紀末のウィーンは、支配的な社会階層が贅沢な饗宴にうつつをぬかし、病的に快楽を追求した時代だった。現在の日本を彷彿させるところがある。

芸術運動 · 13日 1月 2019
ミニマルアートとは、最小限にまで切り詰められた表現である。 幾何学的な抽象美術をぎりぎりまで推し進めて、絵画や彫刻を数学のように規則正しい形態にしていく。一見するとそれは工業製品のように見える

現代美術家 · 20日 10月 2018
マルセル・デュシャン(フランス生まれ:1887年7月28日-1968年10月2日)は、フランス生まれ、晩年にアメリカに帰化した画家、彫刻家、チェスプレイヤー。 デュシャンはダダイスムの情報誌の編集をしたり、《泉》のようなコンセプチュアル・アートを発表して、ダダイスムとは深い関わりがあったものの、活動詳細を調べるとダダ・グループの正式なメンバーではなかったと考えられている。デュシャンはダダイスムが標榜した「反芸術」ではなく「無芸術」だと言っている。 また多くのシュルレアリストとコラボレーション活動をしているためシュルレアリストと扱われることもあるが、ブルトンのシュルレアリスム・グループへの参加招待は断っている。 そうした面から、現在のデュシャンの美術史的な位置付けは、パブロ・ピカソ、アンリ・マティスらと並ぶ、20世紀初頭の造形美術において革新的な発展を促した3大のアーティストの1人と見なされている。

画家 · 01日 9月 2018
オスカー・クロード・モネ(1840年11月14日-1926年12月5日)はフランスの画家。印象派の創設者。 「自然(特に戸外制作での自然風景)に対して自分が認識した感覚を表現する」という基本的な印象派哲学を一貫して実行した実践者。 「印象派」という言葉は、パリ・サロンから独立して1874年に開催された第一回独立展で展示されたモネの作品《日の出、印象》に由来している。 フランスの田舎の記録化しようとするモネの野望のなかで、光の変化と季節の移り変わりを捕えるために、何度も同じシーンを描く方法に行き着く。 1883年からモネはジヴェルニーに移り、そこで家や土地を購入し、モネの作品でよく主題になる睡蓮を中心とした広大な風景画制作を始めた。 1899年にモネは睡蓮を描き始めた。最初は中心に日本の橋を置いた垂直的視点だったが、その後死ぬまでの20年間は、巨大サイズの絵画シリーズとなった。

画家 · 13日 8月 2018
ポール・セザンヌ(1839年1月19日-1906年10月22日)はフランスの画家。後期印象派の画家。 セザンヌは19世紀の印象派から20世紀初頭の前衛運動の架け橋を築いた画家として評価される。特にキュビスムのにおける芸術概念の基礎となった。 セザンヌは複雑な画面を生成するために小さな筆致や平面的な色使いを行う。マティスととピカソはスザンヌについて"近代美術の父"と述べている。

芸術運動 · 09日 8月 2018
ナビ派は1890年代のフランスにおける後期印象派の1グループ。ヘブライ語で「預言者」を意味する「ナビ」という言葉を用いて、自らを新しい象徴的、主観的な芸術の創始者と主張した。ファイン・アートだけでなく、ポスター、舞台芸術、グラフィック・アートなど幅広い領域で活動しているのが特徴である。 ナビ派の様式のルーツはポール・ゴーギャンであり、彼に教えを受けたポール・セリュジェが仲間たちを集めて形成した。当初は近代美術と文学の両方に興味があったグループで、彼らの多くは1880年代後半にパリにあったロドルフ・ジュリアンの美術学校(アカデミー・ジュリアン)の生徒だった。代表的な画家はポール・セリュジェ、モーリス・ドニ、ピエール・ボナール、エドゥアール・ヴュイヤールである。 ナビ派の画家たちはゴーギャンの総合主義を中心として、ポール・セザンヌの古典的な造形性や抽象性、オディロン・ルドンの象徴主義などの内面的表現にも影響を受け、対して自然主義や写実主義を否定していた。。

画家 · 07日 8月 2018
ギュスターブ・モロー(1826年4月6日-1898年4月18日)はフランスの画家。象徴主義の代表的な画家で、聖書や神話に独自の解釈を加える描写を強調して、高く評価された。 写実主義や印象主義が流行していた時代に、モローはほかの作家や画家たちに想像や幻想の世界の表現をアピールした。象徴派のデカダンス小説家ジョリス=カルル・ユイスマンは『さかしま』(1884)のなかで、主人公が偏愛する画家としてモローが登場し、話題になった。

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