【美術解説】オーギュスト・ロダン「近代彫刻の開拓者」

オーギュスト・ロダン / Auguste Rodin

近代彫刻の開拓者


《考える人》1879–1889年
《考える人》1879–1889年

概要


 

生年月日 1840年11月12日
死没月日 1917年11月17日
国籍 フランス
表現形式 彫刻、ドローイング
ムーブメント 近代彫刻
関連サイト

The Art Story(概要)

フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン(1840年11月12日-1917年11月17日)はフランスの彫刻家。

 

ロダンは一般的に近代彫刻の開拓者として知られているが、ほかのモダニストたちのように既存の芸術制度や古典に反発するため近代彫刻を打ち立てたのではない。

 

ロダンは古典教育を受け、むしろ職人のように伝統に従い、アカデミックな承認を望んでいた。しかし、パリの一流の美術学校に何度試験を受けても失敗して、独自の道を歩むことになった。

 

ロダンは粘土を使って、複雑で激しく懐の深い表面を模型を作ることができる独特な能力を持っていた。ロダンの最も著名な彫刻の多くは、生涯にわたって激しい批判を浴び続けた。それらは装飾的で、定型化され、非常に主題性が高く、卓越した具象伝統彫刻と反するものだった。

 

ロダンの最も独創的な作品は、神話と寓意といった伝統的な主題から離れリアルな人間像をかたどり、また個々の性格や身体的な特徴をかたどったある。あまりのリアルさのために「実際の人間から型を取ったのではないか」との疑いをかけられることもあった。

 

ロダンは自身の作品を取り巻く論争に関して敏感だったが、自身のスタイルを変化することは拒んだ。継続的な作品制作とその確かな技術力が認められると、政府や芸術コミュニティの好意で買い上げられ、評価も高まりだした。

 

晩年の1900年までに、彼は世界的な名声を得るようになった。万博でロダンの作品が展示されると、個人の富裕層たちがロダン作品をこぞって探し求め出した。

 

ロダンの弟子にはアントワーヌ・ブールデル、カミーユ・クローデル、コンスタンティン・ブランクーシ、シャルル・デスピオなどがいる。

 

ロダンは生涯連れ添った愛人ローズ・ブーレとともに最後となった年に結婚した。