【美術解説】荒木経惟「私写真家宣言」

荒木経惟 / Nobuyoshi Araki

私写真家宣言


概要


荒木経惟(1940年5月25日-)は日本の写真家、現代美術家。「アラーキー」の愛称で知られる。

 

妻・陽子、飼い猫・チロ、東京の街、花、空など、荒木の視界に入る私小説的な日常風景を強烈なエロスとタナトスが漂う独特のノスタルジックな世界に変える表現「私写真」において、国際的に高い評価を得ている。

 

70年代にはオルタナティブ雑誌『ガロ』で「浪漫写真」の連載を始めてから、サブカルチャー方面でもよく知られるようになる。

 

また、花と性器のダブル・イメージや昭和のノスタルジックで退廃的風景と東京のモダン風景の混在は、サルバドール・ダリやジョルジョ・デ・キリコ、つげ義春などシュルレアリストたちの世界と通じるところがある。

略歴


私写真宣言まで


荒木経惟は1940年5月25日、東京都台東区の色街・吉原の裏手にあたる三ノ輪に生まれた。


墓が並ぶ浄閑寺と吉原界隈を遊び場にしていたため、エロスとタナトスの素養を幼い頃から自然と身につける。


父・長太郎はプロ顔負けのアマチュアの写真家。荒木は父の撮影の手伝いをすることでこちらも自然とカメラに慣れていった。小学校6年生の修学旅行の時、父から譲りうけたカメラで、生まれて初めて写真を撮る。モチーフは夜明けの日光東照宮だった。


下谷中学校に入学すると、クラスメイトの女の子に声をかけて写真を撮るようになる。都立上野高校に入学。東大文学部をめざすがやがて断念して写真家を志すようになる。


1959年に千葉大学工学部に入学する。しかし、技術系の写真化学が授業の中心だったため、ほとんど出席せず、国立近代美術館のフィルム・センターに通って映画ばかり見る日々をおくる。


1963年に卒業。電通に勤務。広告写真を撮るかたわら、終業後の会社のスタジオで機材を(勝手に)つかい、様々なスタイルを模索する。荒木の写真家修業時代。


電通時代にのちの妻となる荒木陽子と出会う。結婚後、荒木は妻陽子との結婚式から新婚旅行を撮影した「センチメンタルな旅」という1000部限定で自費出版する。これが「私写真家宣言」の始まりである。