【美術解説】アウトサイダー・アート(アール・ブリュット)

アウトサイダー・アート / Outsider art

美術業界の外部にある作品群たち


モートン・バートレットの人形
モートン・バートレットの人形

概要


アウトサイダー・アートは、独学、または趣味として素朴に制作された美術のこと。1972年に美術批評家のロジャー・カーディナルの造語である。フランスの芸術家ジャン・デビュッフェが作った「アール・ブリュット」と同じ意味の英語。

 

一般的にアウトサイダー・アーティストと呼ばれる人は、主流の美術界や美術機関とほとんど、まったく接点がないまま制作をしている。

 

デビュッフェは、特に精神病院の患者や子どもが描いた絵に対して制度化された美術業界の外部にあるアウトサイダー・アートとしてスポットを当てた。しかし、ロジャー・カーディナルの「アウトサイダー・アート」では、より広義にアール・ブリュットを適用している。

 

入院履歴のない独学画家の作品や、素朴派の芸術も含めている。代表的な作家としてはヘンリー・ダーガーやモートン・バートレットが挙げられる。どちらも入院履歴はなく、精神病に患ってもおらず、普通に生活をしていた人である。

 

そのためアウトサイダー・アーティストの作品の多くは、死後に作品が発見され、生前に評価されるケースは少ない。また、作品の傾向としては、精神の極限状態、型破りなアイデア、幻想的な世界を描いている場合が多い。

 

アウトサイダー・アートは、美術業界とは別に独立したカテゴリであり、マーケット生成に成功している。たとえば1993年からニューヨークで、年に一度「アウトサイダー・アート・フェア」を開催しており、メディアにおいても『RAW VISION』『Osservatorio Outsider Art』などの専門誌も多数存在している。

 

なお、この言葉はよく「アートワールド」や「アートギャラリーシステム(近現代美術の企画画廊)」の外にある作品群を、その芸術家の作品内容や環境状況と関係なく、美術批評家やギャラリストが自分たちのマーケットに参加させるために利用・誤用するケース(たとえば草間さんとか)が多いので注意が必要である。

精神病者の芸術(アール・ブリュット以前)


アドルフ・ヴェルフリの作品。
アドルフ・ヴェルフリの作品。

日曜画家や子どもたちの芸術に対する関心は、ワシリー・カンディンスキーアウグスト・マッケフランツ・マルク、アレクセイ・フォン・ヤウレンスキーたちなどがドイツ結成した表現主義のグループ「青騎士」で生まれた。

 

青騎士たち作品における核心とは、洗練された技術を放棄したときこそ生まれる力強い表現であった。1912年に彼らが発行した『青騎士年鑑』で初めてこうした理論が発表された。

 

精神病者が制作した作品は、前世紀末頃から精神病医によって精神分析の対象となると同時に、芸術作品として認知されるようになる。その先駆的な仕事として、精神病者の作品を収集したオーギュスト・マリイ博士は1905年パリのヴィルジュイフ精神病院に自らのコレクションによる「狂気の美術館」を設立している。

 

1919年ケルンでのダダの展覧会で、精神病者の芸術が前衛芸術と関連づけて一般に公開された。ほかにアフリカ彫刻、日曜画家の作品、子どもの絵、ガラクタ、精神病者の作品が並列して展示された。

 

実際の精神病患者の芸術に対する関心は1920代から大きくなってきた。1921年にウォルター・モーガンタラー博士は彼の担当患者だったアドルフ・ヴェルフリに関する論文『芸術家としての精神病患者』を出版。ヴェルフリは自発的に絵を描きだした患者で、絵を描くことで心が落ち着くことができたという。

 

ヴェルフリの傑出した作品群は、彼自身の架空の人生をイラスト形式で物語化したもので、25000ページ、1600点のイラスト、1500のコラージュ、全45巻で構成されている。また、ヴェルフリはこのほかに小さな小作品も多数制作しており、それらはプレゼントされたり、販売された。彼の作品はスイス・ベルンのファインアート博物館内のアドルフ・ヴェルフリ財団で展示されている。

最も重要なのは、1922年にハンス・プリンツフォン博士が刊行した『精神病者の芸術』である。これは世界で初めて精神病者の作品に焦点を当て研究した本である。

 

ヨーロッパのさまざまな病院や機関から何千というサンプル作品に基いて精神病者の芸術を紹介しており、特に10人の“統合失調症の巨匠”として、カール・ブレンデル、オーガスト・クロッツ、ピーター・ムーグ、オーガスト・ニーター、ヨハン・クヌファー、ビクター・オース、フランツ・ポール、ヘルマン・ベイユ、ハインリッヒ・ウェルツ、ヨセフ・セルらをとりあげている。

 

本書は、当時の前衛芸術家たち、特にパウル・クレーやマックス・エルンスト、のちにアール・ブリュットを立ち上げるジャン・デビュッフェらに大きな影響を与えた。

 

また、正式な美術教育を受けた芸術家や社会的地位を確立した芸術家のなかにも、精神病を患わった事が要因で芸術家として成功した人もたくさんいる。たとえば、ウィリアム・クレレックはカナダ勲章を受賞した作家だが、彼は若い頃に統合失調症に患い、イギリスの精神病院モーズレイ病院に入院。そこで若い頃の苦悩を表現した絵を描き始めた。耳を切り落としたヴィンセント・ヴァン・ゴッホもこれらの流れにある作家といえる。

ウィリアム・クレレック『迷路』
ウィリアム・クレレック『迷路』

ジャン・デビュッフェとアール・ブリュット


フランスの画家ジャン・デビュッフェは、プリンツフォン博士の『精神病者の芸術』に強い影響を受け、自身でもそのような作品を集めはじめる。1945年、スイスそしてフランス各地の精神病院、監獄などを訪れ、アウトサイダーアートの蒐集を開始。集めたそれらを「アール・ブリュット」または「ローアート」と名付けた。

 

デビュッフェが「アール・ブリュット」という言葉を最初に記したのは、画家ルネ・オーベルジョノワにあてた1945年8月28日付けの手紙である。「アール」は芸術、「ブリュット」は、フランス語でまだ磨かれていない、あるいは加工や変形をこうむらない、生のまま、自然のままという意味の形容詞である。

 

デュビュッフェが1949年に開催した「文化的芸術よりも、生(き)の芸術を」のパンフレットには、「アール・ブリュット(生の芸術)は、芸術的訓練や芸術家として受け入れた知識に汚されていない、古典芸術や流行のパターンを借りるのでない、創造性の源泉からほとばしる真に自発的な表現」と書かれている。

 

1948年にデビュッフェはアンドレ・ブルトンら複数の画家たちと「アール・ブリュット協会」を設立し、集めた作品を管理。これが現在のアール・ブリュット・コレクションの源流となる。数千の作品が収集され、それらの多くは現在、スイスのローザンヌのアール・ブリュット・コレクションにある。しかし資金不足や会員同士の対立などの理由で、アール・ブリュット社の活動は低迷し、1951年に解散。

 

その後、アルフォンソ・オッソリオが、デビュッフェが集めたアール・ブリュットのコレクションをニューヨークの邸宅で10年以上にわたり管理。デュビュッフェもアメリカにわたり、アートクラブ・オブ・シカゴでの回顧展に伴い、アール・ブリュットの思想を伝える重要な講演「反文化的立場」を行った。シカゴでアウトサイダー・アートが盛んなのもこのときの影響が大きい。

 

1962年春にアール・ブリュットのコレクションはパリの「アール・ブリュット協会」の新住所に移される。また1967年にデュビュッフェの重要な回顧展が開かれたパリ装飾美術館で開かれた。

 

その後、アール・ブリュットコレクションの寄贈先探しに奔走したデュビュッフェは、受入先にスイスのローザンヌ市を見出する。同市は18世紀の由緒ある貴族の館であったボーリュー館内に作品を移送する。1976年2月26日、ボーリュー館は改装され「アール・ブリュット・コレクション」とし、ここに保存された。「ミュージアム」ではなく「コレクション」となっているのは、デビュッフェがミュージアムを嫌ったためであるという。

ローザンヌ市にある「アール・ブリュット・コレクション」外観。
ローザンヌ市にある「アール・ブリュット・コレクション」外観。
アール・ブリュット・コレクション
アール・ブリュット・コレクション

アウトサイダー・アートとロジャー・カーディナル


ロジャー・カーディナル「アウトサイダー・アート」(1972年)
ロジャー・カーディナル「アウトサイダー・アート」(1972年)

「アウトサイダー・アート」という言葉は、1972年にロジャー・カーディナルが自身の本に付けたタイトルで、元々はフランス語の「アール・ブリュット」に相当する正確な英語に言い換えるためにつけたものである。

 

しかし、年を経るとともに「アウトサイダー・アート」という言葉を適用する範囲が曖昧になっていき、現在は美術を受けていない作家、障害者、社会的排除に苦しんでいる作家も含まれるようになった。明確な定義自体は存在しておらず、アール・ブリュットと違う意味で付けられた言葉でもない。

 

1979年にロジャー・カーディナルとビクター・マスグレイブはロンドンのヘイワード・ギャラリーで『アウトサイダーズ』という展覧会をキュレーティングしている。この展覧会は、デビュッフェの設定したアール・ブリュット理論や紹介した作家たちに、ヘンリー・ダーガーやマルティン・ラミレス、ジョゼフ・ヨーカムといったアメリカのアウトサイダー・アーティストなど追加して紹介するものだった。デビュッフェが以前、アール・ブリュットとして扱わなかった土着文化に影響を受けた芸術家も紹介している。現在の「アウトサイダー・アート」の意味はこの展覧会がルーツとなっているといってよい。

 

ロジャー・カーディナルはほかにも出版物で、アウトサイダーな建築物、囚人者の芸術、自閉症者の芸術などを紹介。またアウトサイダー・アート情報誌『Raw Vision』や、性的要素の強い作品に絞ったアウトサイダー・アートの情報誌『Raw Erotica』の編集に協力もしている。

「アウトサイダーズ」パンフレット。
「アウトサイダーズ」パンフレット。
「アウトサイダーズ」パンフレット。
「アウトサイダーズ」パンフレット。

近代美術とアウトサイダー・アートの関係


20世紀のアーティストや批評家たちの間で「アウトサイダー」の実践への関心は、近代的な芸術環境の中で確立された価値観を拒否することに対する大きな強調の一部と認識している。

 

20世紀初頭には、キュビスムやダダ、構成主義、未来派などの芸術運動が発生したが、これらの運動はすべて、過去の文化的な形態から逸脱した劇的な動きをしていた。

 

ダダイストのマルセル・デュシャンは、たとえば、"偶然"の行為が自身の作品の形態を決定する役割を担うこと、また「レディメイド」で既存の製品をアートオブジェクトとして再文脈化することで、従来の絵画的技術を放棄した。

 

パブロ・ピカソは、ハイカルチャーにおける伝統の外部にあるものに目を向け、アフリカのプリミティブな社会における人工物や、子どもたちの純粋な芸術作品、下品な広告グラフィックなどからインスピレーションを得ようとしていた。

 

ジャン・デュビュフェは、社会から隔離された精神異常者のアール・ブリュットを支持し、既成の文化的価値観に挑戦した。

そのほかの類似用語


公式・正統文化の「外」にある芸術として、ぼんやりと理解されている芸術を指し示す言葉は、アウトサイダー・アート以外にもたくさんある。

 

●アール・ブリュット

 文字通りフランス語から日本語へ翻訳すると「生の芸術」となる。「生」とは「調理」プロセス(学校、ギャラリー、美術館の世界)を経ていないことである。もともとは、文化や社会の外にほぼ完全に存在していた精神病内で描かれた個人的な芸術。デビュッフェの造語で厳密にいえばスイスの「アール・ブリュット・コレクション」のみで言及される芸術

 

プリミティヴィスム

プリミティヴィスムとは直訳すれば原始主義。原始的なものに対する関心、趣味、その研究、影響などを意味する。西洋美術においてプリミティヴィスムとは、通常「原始的」であると見られていた非西洋的または先史時代の人々から影響を受けた芸術を指す。

 

●フォーク・アート

フォーク・アートはもともとヨーロッパの農民コミュニティと関連のある工芸品や装飾品である。また、任意の土着文化のことを指し示すこともある。しかし、現在では、あらゆる実用的な職人技や装飾的な技術の製品のことを指す。フォークアートとアウトサイダーアートの重要な違いは、フォークアートが伝統的な形態や社会的価値観を体現しているのに対し、アウトサイダーアートは社会の主流とはかけ離れた関係にあるという点である。

 

●インテュイティブ・アート/ビジョナリー・アート

ビジョナリー・アートは、雑誌『Raw Vision』が好んで使っているアウトサイダーアートの別の言い方。ただし、ビジョナリー・アートは、他の定義とは異なり、多くの場合、精神的または宗教的な性質のイメージを含む作品の主題を指すことがある。シカゴにある「Intuit: The Center for Intuitive and Outsider Art」はインテュイティブ・アートの研究と展示に特化した美術館を運営していることで知られる。メリーランド州ボルチモアにある「アメリカン・ビジョナリー・アート・ミュージアム」は、ビジョナリー・アートの収集と展示に特化しています。

 

●ヌーヴ・インヴェンション

周辺的ではあるが主流の文化と何らかの交流を持っているアーティストを表現するのに使われる。例えば兼業で芸術をしている場合もある。これはデュビュフェの造語で、厳密にはコレクション・ドゥ・ラ・ブリュットの特別な部分のみを指す。デビュッフェの造語で厳密にいえばスイスの「アール・ブリュット・コレクション」のみで言及される芸術。

 

●マージナル・アート/アート・シングリエ

基本的にはヌーヴ・インヴェンションと同じで、美術界の端境期にいるアーティストのことを指す。

 

●ナイーブ・アート

素朴派。アンリ・ルソーのような日曜芸術家の凡庸な作品で「ノーマル」な芸術的立ち位置を志向している。アウトサイダー・アーティストよりも主流の芸術世界と意識的に相互作用をしている素人芸術家たちに使われる言葉。

メディア


「Raw Vision」はイギリスのアウトサイダー・アート専門の情報誌。編集長はジョニー・マイゼル。1989年にロンドンで創刊。小規模のフリーランスのスタッフや学者たちによる寄稿で世界中のアウトサイダー・アートを紹介している。

 

毎号、異なる国のアウトサイダー・アーティストをとりあげ、また世界中からアウトサイダー・アートを主題としてニュースを収集し、紹介。Raw Visionは『アウトサイダー・アートの『Rolling Stone』誌』と呼ばれている。

代表的な作家


ヘンリー・ダーガー
ヘンリー・ダーガー
モートン・バートレット
モートン・バートレット
アンリ・ルソー
アンリ・ルソー
ジョン・ウェイン・ゲイシー
ジョン・ウェイン・ゲイシー

ルイス・ウェイン
ルイス・ウェイン
ミンガリング・マイク
ミンガリング・マイク
佐川一政
佐川一政
ゾンネンシュターン
ゾンネンシュターン

アドルフ・ヴェルフリ
アドルフ・ヴェルフリ
エニアおばあちゃん
エニアおばあちゃん
ウィリアム・トーマス・トンプソン
ウィリアム・トーマス・トンプソン
マッジ・ギル
マッジ・ギル

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■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Outsider_art、2020年4月27日アクセス