· 

【作品解説】アンリ・マティス「青い裸体」

青い裸体Ⅱ / Blue Nudes

20年の歳月を経て生まれたアンリ・マティスの代表作

『青い裸体Ⅱ』(1952年)
『青い裸体Ⅱ』(1952年)

概要


作者 アンリ・マティス
制作年 1952年
サイズ 116.2 cm × 88.9 cm
メディウム  

ガッシュで描かれた切り絵

紙に貼り付け

 
所蔵者 ポンピドゥー・センター

『青い裸体』は、アンリ・マティスが様々な姿勢の裸婦を紙で切り抜いて、色を塗り、リトグラフにしたシリーズです。

 

マティスの晩年期の作品で、胃がんの手術後に体調を崩して筆を握ることができなくなったため、彼は1954年に亡くなるまでリトグラフの制作を監督することになりました。彼は手で紙を切って絵を描くカット・アウト方法を使って作品を制作していました。

 

女性のフォルムは、マティスにとってキャリアを通じて重要なテーマでした。4人の裸婦のうち最初の作品である『青い裸婦IV』は、彼が納得のいく作品に仕上げるまで、ノートブックに書き留め、2週間かけて切り貼りする作業を行いました。

 

うまくいかなくなると、マティスはカット・アウトをやめてドローイングに向かい、座っている女性の裸体を何度もスケッチしました。つまり、ドローイングから何かを学び、それからカット・アウトに戻るという作業をしていました。

 

その結果、マティスは4つの作品とも、絡み合う脚と首の後ろに伸びる腕という、彼のお気に入りのポーズにたどり着きました。

 

裸婦の姿勢は、1920年代前半に制作された多くの座っている裸婦の姿勢と似ており、もっといえば『生きる喜び』で見られる休息の姿勢に由来しています。シリーズ第2作「青い裸婦II」は、1952年に完成した作品です。

 

切り絵は紙という平面でありながらも、マティスの初期の彫刻を反映しており、その具体的なレリーフのような質感、特に切り絵が重なり合うことで生まれるボリューム感が特徴です。特に『青い裸婦I』は、1909年の『ラ・セルパンティーヌ』などの彫刻と比較することができます。

 

マティスにとって青は距離と量を意味する色です。マティスは、支配的な色調と対照的な色調をうまく融合させようとする試みに不満を抱き、キャリアの初期に単色の固まりを使うようになり、フォーヴィスムと呼ばれる技法に移行しました。

 

『青い裸婦』を構成するガッシュの切り絵は、マティスのアフリカ彫刻のコレクションと、1930年に訪れたタヒチから得たインスピレーションに由来しています。

 

マティスがアフリカとポリネシアの影響をこの代表的なシリーズに統合するまでには、20年の歳月と術後の不自由な期間を要したといいます。この切り絵シリーズはマティスが生涯にわたって追求してきたものの本質ともいえます。

 

マティスの死後、作品は『Les Derniers Oeuvres de Matisse』とタイトルでフランスの雑誌『Verve』の1956年の特別号で掲載されたことがあります。生前に完成したものだけが彼の署名があります。

 

その後このシリーズは、2014年10月から2015年2月まで近代美術館(MoMA)で、「アンリ・マティス展:カット・アウト』で公開されました。


■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Blue_Nudes、2023年4月1日アクセス

https://www.moma.org/audio/playlist/6/316、2023年4月1日アクセス