【美術解説】横尾忠則「あらゆるジャンルを横断する芸術家」

横尾忠則 / Tadanori Yokoo

驚異の並列


概要


横尾忠則(1936年6月27日-)は日本のグラフィックデザイナー、イラストレーター、版画家、画家。

 

横尾忠則は、グラフィックデザイナーおよびアーティストとして国際的に成功した日本人の一人である。横尾は東京の前衛演劇(天井桟敷)の舞台デザインから芸術的評価を高め始める。初期作品は、1954年にニューヨークで結成されたグラフィック・デザイン集団「プッシュ・ピン・スタジオ」の影響が見られるが、横尾自身は映画監督の黒澤明や三島由紀夫の2人から多大な影響を受けていると言う。

 

1960年後半、横尾は神秘主義やサイケデリアに興味を持ち始め、インド旅行経てさらに深くはまりこむ。横尾の作品は1960年のポップカルチャーに非常に順応していたため、しばしば「日本のアンディ・ウォーホル」、もしくはサイケデリックポスターアーティストのピーター・マックスのように評される。しかし実際は、横尾のその複雑で多重のレイヤーで構成された絵画は、非常に自伝的でなものであり、完全にオリジナルである。特に幼年時代の記憶、たとえば西脇の風景、少年時代に体験した絵物語や小説、映画などをソースにしている。

 

1960年代後半には、横尾はすでに国際的なアーティストと見なされるようになり、1968年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)で個展「言葉とイメージ」を開催する。4年後にはミルドレッド·コンスタンティのキュレーションでMoMaでグラッフィックデザインの個展が開催された。この頃は、ほかに大島渚の映画『新宿泥棒日記』で主演俳優として参加。寺山修司や天井桟敷とのコラボレーションが最も頻繁な時期でもあった。

 

「横尾忠則氏の作品には、全く、われわれ日本人内部にあるやりきれないものが全部露呈していて、人を怒らせ、怖がらせる。何という低俗のきわみの色彩だろう。横尾は戦争で亡くなった人たちの英霊が宿る神社の見世物看板の色彩の土俗性と、アメリカのポップアートのコカ・コーラの赤い容器を並列させて、その2つの驚くべき類似性を目の前に差し出す。その類似性は、私たちの現実であるが、私たちが見たくないものである。(三島由紀夫)」

著作物


「横尾忠則自伝 ぼくなりの遊び方、行き方」
「横尾忠則自伝 ぼくなりの遊び方、行き方」
「私と直観と宇宙人」
「私と直観と宇宙人」