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【作品解説】サルバドール・ダリ「新人類の誕生を見つめる地政学の子ども」

新人類の誕生を見つめる地政学の子ども

Geopoliticus Child Watching the Birth of the New Man

新人類はアメリカから誕生する!


概要


作者 サルバドール・ダリ
制作年 1943年
メディウム カンヴァスに油彩
サイズ 44.5 cm × 50.0cm
所蔵 サルバドール・ダリ美術館

古典回帰と社会性メッセージの強い作品


《新人類の誕生を見つめる地政学の子供》は1943年にサルバドール・ダリによって制作された油彩作品。44.5 cm × 50.0cm。アメリカ、フロリダにあるダリ美術館が所蔵している。

 

第二次世界大戦勃発後、ダリが1940年から1948年までアメリカに亡命していたときに描いた作品。この時期は近代美術の核心である"抽象性"に反発してルネサンス古典絵画やカトリック宗教からインスピレーションを受けていたころのもので、また個人的な内面的世界から普遍的なビジョンへ移行しようとしていた時期の作品である。

 

そのため、第二次世界大戦の当時の状況やその後の世界を暗示した社会的要素の強い作品となっている。

アフリカ、南米、太平洋まで支配は伸びる


卵の形をした地球から出てこようしているのは新人類である。その新人類の誕生を両性具有的な人物と、その人物にしがみついた子ども(地政学の子どもとよばれる)がおそるおそるみつめている。

 

殻を破って出て来る際に、左手はしっかりとイギリスの位置を掴んでいるが、これはイギリスの運命はアメリカが握っているという意味である。1943年といえば第二次世界大戦でナチス・ドイツがソ連に破れ、撤退し、戦局が変わりはじめたころで、1941年に日本から真珠湾攻撃を受けて、アメリカも日本の同盟国であるドイツやイタリアと戦うため本格的にヨーロッパ戦線に参入しようとしていた。

 

卵に描かれているヨーロッパの大きさは実際よりも小さく描かれ、ほとんど破壊された状態になっている。一方でアフリカ大陸と南アメリカ大陸は、力強く描かれている。

 

大人と子どもの影の長さにも注目したい。大人よりも子どもの方が影が長くなっている。大人の影はヨーロッパや大西洋までだが、子どものほうは太平洋まで伸びている。

 

おそらく、先の短いヨーロッパ人に代わってこれから世界を支配するのはアメリカで、その影響力(影)は太平洋まで伸びるということを子どもに教えている。その証拠に太平洋部分の殻も超人の足で突きやぶられそうになっている。

ちょうどアメリカ大陸の部分に亀裂が入り、腕が飛び出していることがわかる。ちなみにアフリカ大陸のベルデ岬あたりは垂れた陰茎のようになっている。
ちょうどアメリカ大陸の部分に亀裂が入り、腕が飛び出していることがわかる。ちなみにアフリカ大陸のベルデ岬あたりは垂れた陰茎のようになっている。
太平洋部分の殻を突き破ろうとしている新人類の足。
太平洋部分の殻を突き破ろうとしている新人類の足。

ハウスホーファーの地政学の影響


ダリはナチス・ドイツ時代に地政学に関心を持っており、当時、特にドイツの地政学者として有名だったカール・ハウスホーファーに興味を持ち始めた。ハウスホーファーは地政学の創始者の一人で、「地政学の子ども」というタイトルもハウスホーファーからとられている。

 

ハウスホーファーによれば、ナチスのルーツとなっているのはベルリンにあるオカルト結社のヴリル協会で、ヴリルとは地球内部の巨大な洞窟に住む超人で、ある日、超人は地球を支配する計画を立てるのだという。ヒトラーはこのハウスホーファーの理論に興味を覚え、「生存圏を有しない民族であるドイツ人は、生存するために軍事的な拡張政策を進めねばならない」として、ナチス党の政策にも取りいれた。

 

ダリもまたこのハウスホーファーの学説に影響を受けて作品の制作を始めた。しかし本来の学説と異なり、ダリは新人類の誕生地をヒトラーの第三帝国ではなくアメリカ合衆国に設定したのだった。第二次世界大戦を終結させ、球を救済するのはアメリカであり、また生存権を拡大させるのもアメリカであるとダリは考えていた。そのため、新人類が誕生する場所、殻を破る場所がアメリカになっている。

 

ただ、ダリは1940年から1948年までアメリカに滞在していたこともあり、鑑賞者の視線を意識して、超人が生まれる場所をアメリカに設定した可能性もある。

1940年の絵画「夜のスパイダー」との連続性


卵をのぞいている小さな子どもと似たようなモチーフは、ダリが1940年に制作した作品《夜のスパイダー》にも表れている。これは第二次世界大戦が勃発して、アメリカへ亡命した直後に描いた戦争勃発の悲劇を描いたものである。

 

《夜のスパイダー》では、画面左下に背中に羽の付いた男児(プット)として登場する。プットはギリシア神話のエロースや愛のキューピッドの象徴として描かれることが多い。《夜のスパイダー》は、第二次世界大戦直後に描いた戦争勃発に対する不安なエロティシズムや死を表現した作品であるという。

サルバドール・ダリ「夜のスパイダー」(1940年)
サルバドール・ダリ「夜のスパイダー」(1940年)

本作の男児は《夜のスパイダー》のプットと異なり、羽根が付いておらず嘆いてもいない。これは本作が、1943年のアメリカが戦争に参入しようとしていた時期に描かれたためにポジティブな表現であるからであろう。

上下にある布のようなものは?


本作についてダリはこのようなメモを書いている。

 

「パラシュート、パラネッサンス(paranaissance)、保護、丸天井、胎盤、カトリシズム、卵、地球の歪み、生物学上の楕円」

 

卵の上下にあるパラシュート、または布のようなものにそれらの単語の意味が含まれているものだと思われる。胎盤や卵など「親」のようなものを表現しているのだろう。一方、パラシュートは原子爆弾の投下を暗喩している可能性もある。

 

また、卵の下に敷かれた布と一緒にみると、開いた貝のような構図になり、楽観的な「ビーナスの誕生」の絵画を表しているようにみえる。

伝統と古典の回帰


大人とその大人にしがみついた子どもは、1504年のラファエロの《聖母結婚》に基いて描かれている。卵の左に小さく描かれた二人の人物は、ラファエロの《聖母の結婚》の中でも描かれている。

 

シュルレアリスムと異なり、このダリの古典主義的作品の着想は、より普遍的な題材に対する興味がさらに強くなったことを明らかにしている。伝統的な絵画、科学的な発見、同時代の出来事(世界情勢)を見事に表現している。

ラファエロ「聖母の結婚」
ラファエロ「聖母の結婚」

●参考文献

・上野の森美術館「ダリ展」図録

Salvador Dali Paintings