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【作品解説】ジャン=ミシェル・バスキア「ハリウッド・アフリカン」

ハリウッド・アフリカン / Hollywood Africans

ハリウッドにおける黒人描写に対する反応


ジャン=ミシェル・バスキア《ハリウッド・アフリカン》,1983年
ジャン=ミシェル・バスキア《ハリウッド・アフリカン》,1983年

概要


作者 ジャン=ミシェル・バスキア
制作年 1983年
メディウム キャンバスにアクリル、オイルスティック
ムーブメント 新表現主義
サイズ 210 cm × 210 cm
所蔵者 ホイットニー美術館

《ハリウッド・アフリカン》は、1983年にジャン=ミシェル・バスキアが制作した作品。本作品はハリウッドにおける黒人描写に対する反応であるという。

背景


バスキアは、SAMOとしてグラフィティを書くストリート・アーティストとしてスタートし、その後、ダウンタウンのアートと音楽のシーンに没頭していった。

 

グレイという実験的なバンドに所属しており、また、流行のヒップホップ・ムーブメントにも関与していた。当時のバスキアは、Fab 5 Freddy、トキシック、ランメルジーなどのグラフィティ・アーティストと親交があった。

 

1983年、バスキアはRammellzeeとK-Robによるヒップホップ・シングル「Beat Bop」をプロデュースし、カバー・アートを制作する。

 

ランメルジーとトキシックは、バスキアが1983年3月にウェスト・ハリウッドのガゴシアン・ギャラリーで開催する2度目の展覧会の準備する際、ロサンゼルスに同行した。

 

ロサンゼルス滞在中、バスキアら3人はハリウッドにおける黒人のステレオタイプな描写に対抗する社会的な声明として、自らを「ハリウッド・アフリカン」と呼び、ハリウッド黄金時代の映画における黒人の描写を問いただした「ハリウッド」を描いた

分析


ゴールデンイエローの背景に描かれた作品の中央には、バスキアと、彼に同行してロサンゼルスにやってきた友人のアーティスト、トキシックやランメルジーの自画像が描かれている。

 

また、バスキアの右上には、彼の生年月日である「12」「22」「60」という数字が記されている。

 

バスキアは作品の中でよく見られるが、一度書いた単語やフレーズに打ち消し線を入れていることがある。これは実際にはそれらに注意を向けるために使われているという。

 

キャンバスには「HOLLYWOOD AFRICANS FROM THE NINETEEN FORTIES」や「WHAT IS BWANA」といったフレーズが書かれており、バスキアが1940年代の映画における黒人の描写に疑問を投げかけていることがわかる。

 

ブワナとは、スワヒリ語で主人やボスを意味する言葉である。絵の上部に書かれた1940年という日付は、女優のハッティ・マクダニエルが『風と共に去りぬ』(1939年)で人種差別の風刺画「マミー」を演じ、アフリカ系アメリカ人として初めてオスカーを受賞した年を指しているのかもしれない。

 

「TOBACCO」「SUGAR CANE」「GANGSTERISM」、そして作品タイトルの「HOLLYWOOD AFRICANS」という表記は、ハリウッドでも実生活でも黒人が差別されて限られた役割しか与えられていないことを意識しているという。この表記は、ハリウッドが輸出しているアフリカ人が作った新製品と解釈することもできる。

 

絵の左側には青い足跡が描かれているが、これは歴史的なハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムにあるグラウマンズ・チャイニーズ・シアターの外にある映画スターの足跡を意味している。

 

バスキアたちは、ハリウッドの3人の若い黒人男性の認識に挑戦し、歴史の中で彼らの地位を確固たるものにしている。

展示


《ハリウッド・アフリカン》は、ニューヨークのホイットニー美術館の主要コレクションである。2017年には、ロンドンのバービカン・センターで開催された『バスキア:ブーム・フォー・リアル』で展示された。


■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Hollywood_Africans、2021年12月5日アクセス