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【作品解説】アンリ・マティス作品一覧「ダンス、緑の筋の女性、赤い部屋など」

アンリ・マティスの作品一覧

近代美術史において、画家として名高いアンリ・マティス。彼の作品は、多くの人々を魅了し、彼の独特な美学を世界中に広めました。本記事では、アンリ・マティスの代表的な作品を解説し、彼の芸術性を掘り下げていきます。印象派の代表的作品であるとともモネの代表的な作品を中心に、彼が画面に描き出した独特な世界観を解説します。その他、アンリ・マティスの作品を紹介し、彼の芸術性を深く理解するための情報も提供します。まずは、彼の作品解説をご覧ください。

代表作


読書をする女性
読書をする女性

『読書をする女性』は、1895年にアンリ・マティスによって制作された油彩画。1896年にシャン・ド・マールサロンに出品して、批評家や大衆の間で物議を醸し、マティスが初めて成功した作品として知られている。(続きを読む


午後遅くにノートルダムを垣間見る
午後遅くにノートルダムを垣間見る

『午後遅くにノートルダムを垣間見る』は、1902年にアンリ・マティスによって制作された油彩作品。暗い色合いが特徴的だが、1901年末から1903年末までは、マティスにとって個人的に憂鬱な時期で、マティスの暗黒時代と呼ばれている。(続きを読む


豪奢、静寂、逸楽
豪奢、静寂、逸楽

『豪奢、静寂、逸楽』は、1904年にアンリ・マティスが制作した油彩画であり、彼のキャリア初期の作品。この作品は、新印象派のスタイルで幻想とレジャーに基づいた新しい概念を表現している。(続きを読む


帽子の女
帽子の女

『帽子の女』は1905年の第二回サロン・ドートンヌで展示するために描かれたもので、マティス周辺の画家たちが“フォーヴィスム”と呼ばれるきっかけとなったエポック的な作品である。

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緑の筋のあるマティス婦人の肖像
緑の筋のあるマティス婦人の肖像

1905年にアンリ・マティスによって制作された油彩作品。アンリ・マティスの代表作であり、20世紀初頭の前衛ポートレイト作品の代表。フォーヴィスムを代表する作品の1つで、伝統に縛られない色彩の自立、画家の感情が造形よりも強烈な色彩で表現している。(続きを読む


開いた窓
開いた窓

『開いた窓』とも呼ばれているこの作品は、1905年にアンリ・マティスによって制作された絵画である。同年、パリのサロン・ドートンヌに出品された。この作品は、マティスが有名になったフォーヴィスムスタイルの絵画の一例であり、彼がリーダー的存在だった、およそ1900年から1909年の間の作品である。(続きを読む


青い裸体(ビスクラへの想い)
青い裸体(ビスクラへの想い)

マティスがこのヌードを描いたのは、制作中の彫刻が粉々になったときだった。その後、この彫刻は完成し、《横たわる裸婦I(オーロール)》と題された。彫刻を修理する前に、彼はヤシの木を背景にした女性を青色で描いた。(続きを読む


若い水夫Ⅱ
若い水夫Ⅱ

『若い水夫Ⅱ』は、1906年にアンリ・マティスによって制作された油彩作品。フォーヴィスムで描かれた肖像画の代表的な作品の1つ。ピンク、ブルー、クリーンの鮮やかな色彩で描かれた船乗りの表情は、遊び心にあふれたプリミティブなスタイルで、水夫の骨格は、歪んでおり、アングルと深い線の集合体で作られた仮面のようになっている。(続きを読む


赤いハーモニー
赤いハーモニー

《赤いハーモニー》は、1908年にアンリ・マティスによって制作された油彩作品。180 cm×220 cm。現在はロシアのエルミタージュ美術館が所蔵している。1908年から1913年にかけてのフォーヴィスムの時期において、最も完成度の高いとされているマティス作品で、別名「赤い部屋」と呼ばれることもある。(続きを読む


赤のアトリエ
赤のアトリエ

《赤のアトリエ》はマティスの初期の集大成的な作品である。フォーヴィズム、印象派、後期印象派とこれまでマティスがたどってきた芸術スタイルを融合させた上で、海外旅行で見たさまざまな美術や文化的要素を上書きして表現している。(続きを読む


ダンス
ダンス

《ダンス》は、アンリ・マティスによって制作された油彩作品。《ダンス》を基盤にしたいくつかよく似た作品があり、代表的なのは《生きる喜び》である。画面上でダンスを行う人物たちの構図は、ウィリアム・ブレイク1786年の水彩絵画「Oberon, Titania and Puck with fairies dancing" 」を基盤にしている。(続きを読む


生きる喜び
生きる喜び

《生きる喜び》は、1905年から1906年にかけてアンリ・マティスによって、制作された油彩作品。パブロ・ピカソの《アヴィニョンの娘》とならんで、初期前衛芸術の柱となるマスターピースとみなされている。1906年のサロン・デ・アンデパンダンで初めて展示され、その黄色でキャンバス全体を占有した大胆な色の使いや空間のゆがみは、当初は鑑賞者から非難を浴びた。(続きを読む


金魚
金魚

《金魚》は1912年にアンリ・マティスによって制作された油彩作品。金魚は17世紀ごろに東アジアからヨーロッパに輸入された。1912年ごろから、金魚はマティス作品に定期的にあらわれるモチーフとなった。少なくとも9作品以上は金魚をモチーフにした作品を制作している。(続きを読む


ニースのインテリア
ニースのインテリア

『ニースのインテリア』は、1919年から1920年にかけてアンリ・マティスが制作した油彩作品である。1917年以降、マティスは地中海沿岸のニースで冬を過ごすことが多くなり、ロココ調の建物である「オテル・メディテラネ」によく滞在していた。(続きを読む


青い裸体
青い裸体

『青い裸体』は、アンリ・マティスが様々な姿勢の裸婦を紙で切り抜いて、色を塗り、リトグラフにしたシリーズです。マティスの晩年期の作品で、胃がんの手術後に体調を崩して筆を握ることができなくなったため、彼は1954年に亡くなるまでリトグラフの制作を監督することになりました。彼は手で紙を切って絵を描くカット・アウト方法を使って作品を制作していました。(続きを読む


紫のコートを着た女性
紫のコートを着た女性

『紫のコートを着た女性』は、1937年にアンリ・マティスによって制作された油彩作品。この絵のモデルは、晩年にマティスを世話したリディア・デレクトールスカヤという女性である。彼女は1917年のロシア革命で逃れてきたシベリア出身のロシア人だった。(続きを読む


王の悲しみ
王の悲しみ

1940年代初頭からなかばにかけて、マティスは体調を崩していた。1950年には絵を描くことをやめ、カット・アウトに没頭するようになる。『王の悲しみ』は、マティスのカット・アウトシリーズの最後の作品群の一例として知られている。(続きを読む


かたつむり
かたつむり

『かたつむり』というタイトルが示すように、着色されたさまざまな色付きの図形が螺旋状に配置されている。マティスは最初にかたつむりを描いていたが、その後、色付きの紙を使って抽象的に表現することにした。(続きを読む