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【作品解説】フィンセント・ファン・ゴッホ「夜のカフェテラス」

夜のカフェテラス / Café Terrace at Night

青と黄が独特なゴッホの有名な夜街風景画


フィンセント・ファン・ゴッホの代表的な作品の一つである「夜のカフェテラス」について、もっと知りたいと思いませんか?  ここでは、ゴッホの作品にまつわるエピソードや制作方法、この作品にまつわる手紙や「夜のカフェテラス」の背景などを解説していきます。さっそく、ご紹介しましょう。

概要


作者 フィンセント・ファン・ゴッホ
制作年 1888年
メディウム 油彩、キャンバス
サイズ 81.0 cm×65.5 cm
コレクション クレラー・ミュラー美術館

《夜のカフェテラス》は、1888年にフィンセント・ファン・ゴッホによって制作された油彩作品。81.0 cm×65.5 cm。クレラー・ミュラー美術館所蔵。

 

この作品を描いた翌年1898年にゴッホは耳切断事件を起こして入院することになるが、これは事件前に滞在していたフランスのアルル時代に制作されている。描かれているのはアルルの街の夜の風景。絵にゴッホのサインはないもののゴッホ自ら3通の手紙で作品解説がされている。

 

1891年に初めて展示されたときのタイトルは「夜のコーヒーハウス」で、星空を背景に使って制作した最初の作品だった。《ローヌ川の星月夜》で空を満面の星で塗りつぶし、翌年に《星月夜》を制作する。ほかに《ウジェーヌ・ボックの肖像》でも背景に星空を描いている。

 

なお、アルルのカフェを描いたゴッホの他の作品として《夜のカフェ》があるが、ここで描かれているカフェと《夜のカフェテラス》で描かれているカフェは全く別の店舗であることに注意したい。

「夜のカフェテラス」の習作画。
「夜のカフェテラス」の習作画。

現在も当時のカフェテラスの風景は残っている


絵の舞台となっているのはアルルにあるフォリュム広場という場所で、現在は「Le Cafe La Nuit(CAFE VAN GOGH)」という名前の喫茶店が立地し、ゴッホとゆかりのある観光地として有名になっている。

 

ゴッホは当時フォリュム広場の角に立ち、イーゼルを立てて絵を描いていた。ゴッホは広場の北東の角から南の方に位置する人気カフェの照明で照らされたテラスや、南の教会方面の闇へ向かって伸びていくパレ通りを描いた。

 

パレ通りに沿った建物の向こう側に、以前は教会の塔が見えたという。(現在は宝石細工博物館になっている)。

 

画面の右側には照らされた店や広場を取り囲むように植えられた木々が描かれている。しかし、ゴッホはこの小さな店のすぐそばにあったローマ記念館の一部を省いている。

 

この当時の風景は今でも変わらず残っており、観光者はゴッホの視点を楽しむことができる。アルルにはここ以外にも「黄色い家」をはじめ、ゴッホとゆかりのある場所がいくつかあるので、訪れたらぜひ立ち寄ってほしい。

モーパッサンの「ベラミ」の始まりのシーン


ゴッホの静物画で描かれる本には「ベラミ」が出てくるものもある。
ゴッホの静物画で描かれる本には「ベラミ」が出てくるものもある。

ゴッホ美術館の学芸員によれば、モーパッサンの小説「ベラミ」で記述されている「明るい光で照らされた正面と騒がしい飲酒者」というシーンと《夜のカフェテラス》の絵画の風景ががよく似ているという。

 

ただし、モーパッサンの方はカフェテラスのみで、星空には言及していないので、そこがゴッホとの大きな違いといえる。

 

《夜のカフェテラス》を描いたあと、ゴッホは妹に手紙を書いている。

 

「ここ数日間、新しい夜のカフェの戸外の絵を描いていた。テラスで酒を飲む人々はほとんどいなかった。店の巨大な黄色のランタンの光がテラスや店の正面、床を照らし、通りの石畳みにまで光が伸びていた。照らされた石畳は紫色とピンク色を帯びていた。通りに面した家屋の切り妻壁は、星が散りばめられた青い空のもと、緑の木樹とともにダークブルーや紫の色を帯びていた。今ここに黒のない夜の絵画がある。美しい青、紫、緑と淡い黄色やレモングリーン色で照らされた広場だけがある。私は夜のこのスポットで絵を描くのが非常に楽しい。これまでもたくさん絵を描いており、昼間に描いたドローイングを元に油絵を描いている。ギ・ド・モーパッサンの小説「ベラミ」の始まりがちょうど、通りに面した照明付きのカフェがあるパリの星月夜の風景のだが、私がちょうど今描いている主題はこれと同じようなものだ」。

ルイ・アンクタン「クリシーの大通り」からインスパイア


1981年にボゴニャ・ウェルシュ~オルガルーブは「夜景だけでなく、漏斗状の遠近的風景と全体を覆っている青と黄の使い方もゴッホの特徴である」と批評している。また、少なくとも部分的にルイ・アンクタン《クリシーの大通り》からインスパイアされていると指摘している。

ルイ・アンクタン「クリシーの大通り」(1887年)
ルイ・アンクタン「クリシーの大通り」(1887年)

ゴッホ版「最後の晩餐」だった!?


国際アカデミズムフォーラム(IAFOR)が2013年に開催した「芸術と人間の欧州会議」では、ゴッホが生涯においてイエス・キリストに自身を投影していたことから、ゴッホはレオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》を独自に解釈した形で新しい作風にしようとしていたのではないかと、斬新な解釈が発表された。

 

ゴッホが《最後の晩餐》を意識した作品としてはほかに《アルルのレストラン内のインテリア》や《アルルのレストラン・キャレル内のインテリア》がある。これは、アルル滞在時の同じ時期に制作したものである。

フィンセント・ファン・ゴッホ「アルルのレストラン内のインテリア」(1888年)
フィンセント・ファン・ゴッホ「アルルのレストラン内のインテリア」(1888年)
フィンセント・ファン・ゴッホ「アルルのレストラン・キャレル内のインテリア」(1888年)
フィンセント・ファン・ゴッホ「アルルのレストラン・キャレル内のインテリア」(1888年)