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【作品解説】フィンセント・ファン・ゴッホ「悲しみ」

悲しみ / Sorrow

愛人シーンを描いたドローイング作品


概要


作者 フィンセント・ファン・ゴッホ
制作年 1882年
メディウム 紙、ドローイング
サイズ 44.5cm×27.0cm
コレクション ウォルソール新美術画廊

ゴッホのベストモデル「シーン」を描いた作品


《悲しみ》は、1882年にフィンセント・ファン・ゴッホによって制作されたドローイング作品。44.5cm×27.0cm。イギリスのウォルソール新美術画廊のガマン・ライアン・コレクションの1つ。カタログ・レゾネではF929aとなっている。

 

ゴッホが画家になる決心をして2年後に描かれた作品で、ゴッホのドローイング作品において最もよく知られているマスターピース。描かれている女性は、ゴッホの当時の愛人で娼婦だったクラシーナ・マリア・ホールニク(通称シーン)。

 

彼女はゴッホの手紙の中で数多く言及されている女性で、彼女を描いたドローイングシリーズは、ゴッホ自身が重要な作品と考えており、「私が描いたモデルのなかでベストだ」と表明している。1882年のゴッホの手紙では「私はさまざまな人々に触れるドローイング作品を作りたい。《悲しみ》は小さな始まりで、少なくとも私自身の心に直接的に何か触れるものがある」と書いている。

 

シーンはゴッホが画家になる決心をし、1881年から1883年までハーグに滞在し、いとこで画家として成功していたアントン・モーブのもとで絵の学んでいるときに出会った女性である。ゴッホと出会った当時の彼女は1人娘を持った娼婦であり、さらに妊娠中だった。

 

ゴッホはモーブから石膏デッサンによる絵の練習をすすめられていたが、実際のモデルを使ったデッサンに固執したため二人は仲違いになる。そんな孤独な状況にあるゴッホと出会ったのがモデルと娼婦を兼ね備えていたシーンだった。彼女をモデルにして描いた作品の多くは、当時のゴッホの家庭生活や貧困労働者の苦悩が反映されている。

 

二人は結婚しようとしたが、ゴッホの両親に反対される。また同棲後のシーンとの喧嘩も絶えず、ゴッホにとって家族の生活はあまり幸せと感じられず、家庭生活と芸術的発展は相容れないと感じ、結局は1883年に二人は別れることになった。

 

ゴッホと別れたあとのシーンは、裁縫、清掃、売春などで生計をたてる。1901年に結婚するが、1904年11月12日、54歳のときにスヘルデ川で入水自殺。なお、1883年にゴッホは「何か悪いムードが迫りつつある。私は水に飛び込んで終わることになるだろう」と予言めいたことを話していたという。

自然と女性とゴッホの並列的表現


「悲しみ」はおそらく1882年の春、その年の1月にシーンと出会い、7月に妊娠していた子どもを出産するまでの間に描かれた。この作品は、1882年4月10日付けのテオへの手紙で言及されている。また前景に描かれている春の花から制作時期を推測することができる。

 

絵の全体の雰囲気は荒涼としているが、前景に咲く春の花の存在は救済の可能性を示唆しているといえるだろう。ゴッホは人生で傷ついた女性としてシーンを描写し、また自然の中の冬の枯れた木々や荒廃した自然を、自身の内面と並列し、関連付けていた。

 

ほかに、自然とゴッホ自身の内面を関連付けた作品の代表例としては、1882年の「砂地の木の根」がある。この作品についてゴッホは「私は枝のある黒い幹の木々と白くスレンダーな女性の身体の両方を、私自身の人生の闘争として表現したかった」解説している。

フィンセント・ファン・ゴッホ「砂地の木の根」(1882年)
フィンセント・ファン・ゴッホ「砂地の木の根」(1882年)