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【作品解説】フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」

ひまわり / Sunflowers

ゴッホの代表作はユートピアの象徴


フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」(F457)(1889年)東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館所蔵。
フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」(F457)(1889年)東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館所蔵。

目次

概要


作者 フィンセント・ファン・ゴッホ
制作年 1889年
メディウム 油彩、キャンバス
サイズ 100.5 cm ×76.5 cm
コレクション 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館

悲観的なゴッホ作品とは異なる楽観的な作品


フィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」は、彼の作品の中でも最も愛され、認知されている作品のひとつである。

 

1886年から1887年にかけてパリで制作された「ひまわり」と、1888年にアルルで制作された「ひまわり」の2つのシリーズが有名である。

 

このブログでは、この2つの「ひまわり」シリーズについて、その制作過程や作品にまつわる象徴的な事柄を紹介する。

 

1.初期シリーズ(1886-1887年)

ゴッホの「ひまわり」の初期シリーズは、弟テオとパリに住んでいた1886年から1887年にかけて制作された。このシリーズでは、一輪のひまわりが土の上に寂しげな雰囲気で置かれています。このシリーズには、ゴッホの孤独感を表現する意味が込められている。

 

2.後期シリーズ(1888年)

ゴッホの「ひまわり」の後期シリーズは、アルル滞在中の1888年に制作された。このシリーズでは、花瓶に生けられたひまわりの花束が描かれている。前シリーズとは異なり、このシリーズは、プロヴァンスが誇る明るい南国の雰囲気を踏襲した、暖色系の黄色やオレンジに満ちていた。

 

 

3.象徴と情緒

ゴッホにとって、ひまわりはユートピアの象徴と言われている。このユートピアの感覚は、彼の花の絵に反映されていると考えられる。しかし、ゴッホは他の静物画に比べ、自分の主観や感情を作品に投影することにはあまり興味がなかったと考えられている。

 

4.ゴーギャンとの関係

 

また、「ひまわり:シリーズは、特にゴッホの友人であるポール・ゴーギャンと後期において密接な関わりを持っていた。この時期、ゴッホは自らの絵画の技法や手法を披露したいと考えた。

初期の悲観的なひまわりシリーズ


初期のひまわりシリーズは、1886年から1887年にかけてパリ時代に制作したもので4点存在している。

 

そのうちの2点は友人のゴーギャンが購入し、パリの彼のアパートのベッドルームに飾っていたという。

 

この時期は弟のテオと住んでいたため、手紙は存在しておらずゴッホの詳細な活動はほとんどわからないため、作品に対する注釈もわからない。しかし、この時期にすでにひまわりの絵を描いていたのは確かである。

 

なお、1890年代なかばにゴーギャンは旅費を工面するため作品を売り払っている。

フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」(F375)(1887年)。メトロポリタン美術館所蔵。
フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」(F375)(1887年)。メトロポリタン美術館所蔵。

後期の楽観的なひまわりシリーズ


後期のひまわりシリーズは、1888年にアルル滞在時に制作さされたものである。

 

1888年2月にゴッホはアルルに移住する。同年10月にゴーギャンもアルルにやってくる。パリ時代からゴーギャンとの共同アトリエを望んでいたゴッホは、二人が利用する予定の黄色い家のインテリア絵画として「ひまわり」を描いた。

 

これが後期の花瓶に活けられたひまわりシリーズである。このシリーズは、ゴーギャンを歓迎するゴッホの気持ちがあふれており、ゴッホ作品では非常に珍しい明るい作品である。

 

東京の東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館が所蔵しているひまわりは、このシリーズの7点のうちの1つである。

 

なお、ユートピアに満ちたゴーギャンとの共同生活は、たった2ヶ月で仲違いして破綻した。

フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」(F454)(1888年)ナショナル・ギャラリー所蔵
フィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」(F454)(1888年)ナショナル・ギャラリー所蔵

損保ジャパンにあるのは楽観的な「ひまわり」


1987年3月30日、ロンドンで行なわれたオークションにて、ゴッホの《ひまわり》(F457)を安田火災海上(現・損害保険ジャパン日本興亜)が58億円で落札。その後、東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館で展示されることになる。

 

東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館は、1976年に開館した美術館で、損保ジャパン日本興亜本社ビル42階にある。東郷青児をはじめとする現代日本人洋画家の作品を中心に収集しており、1987年10月にはゴッホの《ひまわり》を追加。これらゴッホ、ゴーギャン、セザンヌの3作品は展示室最後のコーナーで常設展示されている。

 

現在ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵する《ひまわり》をもとに描かれている。ロンドンの《ひまわり》と同じ構図で描かれているが、全体的な色合いやタッチなど、細かい部分は異なり、ゴッホが色彩や質感の研究のために制作に取り組んでいたことがうかがえる。

いつでも見れる「ひまわり」。
いつでも見れる「ひまわり」。

ナチスが略奪した美術品の返還請求問題


日本の保険会社であるSOMPOホールディングスは、フィンセント・ヴァン・ゴッホの有名な「ひまわり」シリーズの絵をめぐって、ナチスの迫害の犠牲者である前所有者の相続人から訴えられた。

 

2022年12月13日、アメリカ、イリノイ州のメンデルスゾーン=バルトルディの子孫が、1987年にこの絵 3,990 万ドル (手数料を含む) で購入した安田火災の後継会社であるSOMPO ホールディングスに対して、シカゴの連邦裁判所に訴訟を起こした。

 

原告側によると、SOMPOは絵の来歴知識に関して「無謀に無関心」の状態で落札したと主張していて、絵画の返還と、およそ990億円の損害賠償を求めている。

 

この訴訟は、2022年12月13日にイリノイ州の連邦裁判所に、ユダヤ人の銀行家でありベルリンのアートコレクターであるポール・フォン・メンデルスゾーン・バルトルディの子孫である3人の相続人によって提出された。

 

ブランドやマーケティングへの利益を含め、SOMPOが絵画の所有から得た利益に照らして、7億5000万ドルの懲罰的損害賠償に加えて、「ひまわり」の返還または公正な市場価値の支払いを求めている。

 

問題の取引が3 年以上前のものであるのに、なぜ今になって訴状が提出されたのかについて、原告側の情報筋は日経に、「原告と弁護士でさえ、2008年までひまわりがどこかにあるかわからなかった」と語った。

 

2016年のホロコースト収用美術品回収法を引用し、"基本的に、30年代と40年代のナチスの政策の結果として失われた資料の回収のための多くの潜在的請求権を復活させ、それ以外は時効によって禁止されていた。"と述べている。

 

この法律はHEAR法とも呼ばれ、このような訴訟の時効を全国的に6年とし、原告が問題の美術品の身元と場所、または所有権のいずれかを知ったときから開始される。

 

損保の担当者は日本経済新聞の取材に対し、「訴状のコピーは受け取っていない」とし、クリスティーズのオークションでの購入は「公知の事実だ」と指摘した。

 

損保は不正の申し立てを断固として拒否し、『ひまわり』の所有権を精力的に守るつもりだ」と代表者は述べた。